ビタージャムメモリ
13.はずみ

「あれ、もう帰るの?」

「はい、ちょっと用が。お疲れさまでした、よいお年を」

「香野さんに彼氏ができたってもっぱらの噂だけど」



寄せられた会議机につまずいて、ガタガタと騒々しく転んだ。

置いてあった缶ビールが転がり落ちて、立て続けに頭を直撃する。



「動揺してますよ、部長」

「やっぱりねえ」

「あの、その噂は、どこから」

「最近、浮かれてたり沈んでたりしたと思ったら、イブもクリスマスも定時にさっと消えるしさ」



野田さんと部長が、紙コップでシャンパンを飲みながらにやにやとこちらを見ている。

それは、急ぎの仕事がなかったのと、歩くんとの約束があったり、彼が家に来たりしていたからであって。

今、納会から早々に退散しようとしているのも、同じで。



「できてません、残念ながら」

「えー?」



疑わしそうなふたりの声は流し、缶を拾ってテーブルに戻すと、再び挨拶をして広報部の会議室を後にした。

夏季と冬季の長期休業に入る前日は、早めに業務を切り上げ、社内で納会が開催されるのが通例だ。

部署ごとにお酒や食べ物を買ってきて、事務机や会議室を使って宴会をするのだ。

普段は禁煙の会議室が堂々と喫煙の場になったりして、新人の頃は唖然としたものだけど、すぐに慣れた。


家に帰ると、廊下のキッチンに歩くんが立っていた。

ごま油の香ばしい香りがする。

ラフな部屋着姿でも、綺麗な子は見とれるほど綺麗なものなのだ。



「お帰り、寒かったろ」

「今日は中華?」

「そ、残った半端野菜の処理」



深めのフライパンの中身に、水溶き片栗粉を入れてさっとかき回すと、ふたつの丼に盛ったご飯の上にかける。

五目あんかけ丼だ。



「おいしそう」

「今日、仕事納めだったんだろ、納まった?」

「うん、最近はわりと余裕あったから」

「そっか、お疲れ」



歩くんはにこりと微笑むと、お鍋を手早く洗い、同じお鍋でたちどころにスープを作ってしまった。

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