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「わかった、今から行くから、そのまま待ってて」
『すいません、お願いします』

 部下の謝る声は、申し訳なさと同時に安堵も含んでいる。電話越しに顔は見えないけど、声のトーンで何となく察してしまう。

「せっかくの休日なのにー……。はぁ」

 苛立ち気味につぶやきながら寝起きの顔にメイクし、スーツに着替えると一人暮らしのアパートを出た。

 地元の小さなアパレルメーカーに勤め、早7年。主任に昇進したはいいものの、休日は部下のミスの尻拭いや仕事のフォローでちょくちょく呼び出されるからたまったものではない。

 スマホなんか、なくなればいいのに。

 あったって本当に大切な時には役に立たないし、こうして貴重な休みに疲れをためる原因になってる気がしてならない。


 責任者としてするべきことを終え、自宅アパートに戻ると、消化するはずだったテレビドラマの録画も見忘れベッドに倒れ込んだ。

「疲れたー……」

 入社当時より給料も上がったし立場もそれなりにいい。会社で怒られることも少なくなった。一人暮らしなので、プライベートは誰にも干渉されない自由な日々。

 だけど、年々、何かを失っている気がしてる。

 そんな時だった。スマホに、出会い系サイトの広告メールが送られてきたのは。

「出会いかぁ。そう、そうだよ。彼氏いないからダレるんだ…!」

 不特定多数に送られているであろう怪しいメール。それまで即削除していたのに、この時の私は会員登録くらいならしてみてもいいかもという気になっていた。

 しかし、

「あれ? えっ……? 何これ」

 添付されたURLをクリックしようとすると、メール画面が白紙になった。バグ!? ううん、他のアプリは正常だ。どゆこと?

 首を傾げたのと、男の声が聞こえたのは同時だった。 

「分かってたけど、お前、相当渇いてんのな。だからってらしくないことして」
「なっ……!」

 見知らぬ男が、そこにいた。しかも、けっこう好みのタイプ。声もかっこいい。

 初恋ってわけでもないのに、ここ何年も恋と無縁だったせいか、たったそれだけのことでドキドキしてしまった。不審者かもしれないのに、変にテンションが上がる。

「ドキッとした?」

 男は、私の心を見透かしたように艶っぽい笑みを見せ、距離を詰めてきた。背まで高いなんて反則!

「ちょ、あの!」
「お前さ、可愛いんだからもっと笑えよ。宝の持ち腐れ」
「かっ、かわっ!?」

 久しぶりに女扱いされた。嬉しいけど、反応に困った。

「あの、あなたは誰ですか? 私のこと前から知ってる風な感じですけど、初対面ですよね? そして、ここへはどうやって入ったんでしょう?」

 職場で気を張ってる反動なのか弱腰になる私に、男は言った。

「ずっとそばにいただろ。今年の1月から」
「そんな前から!? 今、12月ですよっ」
「もうすぐお前と出会って一周年記念ってことで、擬人の神様が特別にこの場を設けて下さったんだ。俺は、お前の買ったスマートフォンだよ」
「擬人の神様? スマートフォン? 数年前から擬人化ブームって聞いてはいたけど、そんな、まさか現実にあるなんて……。でも、これを買ったのはたしかに1月だし……。あっ!」

 そこでハッとし、私はスマホ画面を男に見せた。

「さっき、来たばかりのメールが消えちゃったんですけど、もしかしてあなたが何か細工した、とかですか? タイミング的にそうかなって……。違ったらすみませんが……」
「さすが主任。頭いいじゃん」

 大きな手で私の頭を撫で、男は言った。

「そうだよ。だってお前、俺以外の男と出会うつもりだったろ?」
「そ、それはっ……」

 本当に、この人、私のスマートフォンなんだな……。メールの内容なんて一言も教えてないのに全部お見通しなんだ。

 頭から離れそうにない彼の手はあたたかくて、優しい。それに、初めて会話する相手とは思えないほど彼の雰囲気にホッとしている自分がいる。

 気付けば私は、彼に心の内を吐露していた。

「バカみたいと思いました? こんなことでしか出会い求められないなんて……。でも、仕方ないんです。会社の同僚はみんな既婚者で恋なんて全然考えられない環境なんですよ。結婚を急かしてくる親からの連絡も無視して、会社では独りでもやってける強い女のフリして、どんどん結婚してく後輩の女の子達を祝うフリしてる……。今は今で充実してて恵まれた環境にいて幸せなのに、時々すごく虚しくなるし、ちょっとしたことでイライラするんです。変ですよね」
「知ってるよ、全部」
「え…?」
「言ったろ? 1年近くもそばにいたんだから」

 男は慈しむようにそう言い、そっと私の右手に自分の手を重ねた。優しい触れ方だった。

「スマートフォン本体なのをいいことに、お前宛に来る出会い系メール、全部削除してた。親が結婚の心配してることも知ってる。通話機能で聞いてたから。スマートフォンの存在を軽視してるのもマメな連絡を心がけてたにも関わらず前の男にフラれたせい。たまに会う学生時代の友達の前ですら、お前は弱いとこ見せない女なんだよな。何されても傷つきませんって顔してる」
「やっぱり、そう見えるんですよね……。なんか恥ずかしいです」

 いつの頃からか、人前で自分を出せなくなった。強くあるために、部下の手本になるために、部長に迷惑かけない人材になるために、それは必要なことだった。

 仕事がつらくて、次々結婚して疎遠になっていく友達に対しても寂しさを感じずにはいられなくて、だけど泣いたり悩んだりしたらダメになりそうだったから、強い自分を演じてた。それが本当の自分であるかのように。

 自覚はあったけど、そうして改めて人から指摘されると何とも言えない気持ちになった。

「こんなんだから、彼氏も結婚もできないんですかね……。ほら、よく言うじゃないですか、男の人は頼られるのが好きだって」

 学生の頃から付き合ってた元カレもそういう人だった。社会人になってから変わってしまった私に「独りでも生きていけそうな女」のレッテルを貼り、別れを告げ、甘え上手な人を奥さんにしたらしい。風の噂で聞いた。

 しんみりする空気を断ち切るように、私は笑顔で言った。

「ま、平気ですよ。お金はあるし、生涯独身でもやってけるよう保険もちゃんと入ってるんで! 今の時代、こんなの普通ですよ、普通! 男の人が思う以上に女は強いですから!」
「笑えとは言ったけど、無理してまでそうしろとは言ってないだろ」

 なぜか悲しげな顔で彼は言い、私を強く抱き寄せた。

「あ、あのっ!?」

 擬人化。スマートフォン。そんなのウソみたいに、彼の体はあたたかい。久しぶりに感じた男の人の力強さに、心臓が破裂しそうだった。

「もう独りじゃないだろ。本音しゃべれる相手、できたじゃん」
「え……? 誰のことですか?」
「俺だよ」

 そっと体を離し、彼の瞳が私を捉えた。そらしたいのに、そらせない、静かな迫力があった。

「何でも言えよ。グチでも相談でも。お前が楽になるまで何度でも聞くから」
「でも、そんなの悪いし……。それに、あなたは普通の人間じゃないんですよね……?」
「それは大した問題じゃない。お前が悩んでることの方が重要だ」
「どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」

 彼の優しさが嬉しい反面、そういう優しさを男の人に向けられたのが初めてだったから、とても不思議だった。

 それまで堂々としていた彼は、人見知りする子供のような表情になり、照れた顔を見せた。

「愛してるから。それだけじゃ、理由にならない?」
「そ、そんなことはないけどっ……」

 突然の告白に戸惑っていると、もう一人、知らない男が現れた。スマホを名乗る彼と違い、その男はブロンドの髪をして西洋人みたいな顔。

「おい! 告白するなどとは聞いていないぞ」

 不服の表情で、ブロンド男は彼に言った。

「擬人化し持ち主の顔を見るだけだという約束だろうが! 恋愛感情を持つなど、愚か者め!」
「あの、あなたは……?」
「擬人の神だ。このスマホを人間化したのは我だ。さ、事情を聞かせてもらうぞ…? 真の人間になるからには、それなりの修行が必要となる。今のお前は霊体と同義。スマホと分離しているのがいい証拠だ。我の力で実体化できているだけだということを忘れるなよ」

 私が介入する余地はなさそうだった。

 それから、どういうわけか、擬人の神様とスマートフォンの彼が私のアパートに住むことになった。しかも、どこから経費が出ているのか謎だけど、家賃や光熱費は全額擬人の神様が負担してくれるという。修行に必要なことだとか何とかで。


 そんなこともあり、すぐ恋愛! というわけにはいかなさそうだけど、これまでとは違うカラフルな日常の予感に、胸が弾んだ。

 ずっと見守ってくれていた人が、これからは生活の中にいる。

 スマートフォンを擬人化した彼には、どんな名前がふさわしいだろう?
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