陽のあたる場所へ

② 誘惑



タクシーの中で、沙織は流れて行く外の景色をぼんやりと眺めていた。



長瀬楓(ナガセ カエデ)の家に着くまで、龍司から何も説明はなかった。
仕事の話ではない。
エレベーターの中での、突然のキスの理由だ。

社内から、取引先から、立て続けに電話がかかり、龍司はずっとその応対に追われていた。

もっとも、電話が一本もかからなかったとしても、沙織に対して何か釈明をしたとは思えなかった。


その中で一つだけ、仕事とは関係なさそうな内容の電話があった。

「あぁ…ごめん…。仕事忙しくて…。
わかってる…必ず時間作って行くから…」

相手の話までは聞こえないが、声が女性だということだけはわかった。

きっと、恋人なのだろう…。



だから、少し前のあの行動に、感情などきっとない…。

物欲しそうに見えた私を、少しからかっただけ。
沙織の心の中では、その理由を考えてしまう気持ちがグルグルと回りながらも、結論はそこへ落ち着けるしかなかった。

唇はまだ熱を持っているような感覚なのに、心の中には何か冷たいものが突き刺さって来るような気がした。

< 16 / 237 >

この作品をシェア

pagetop