恋のお試し期間
ダイエット大作戦



「あれ」

いつの間にか日課になっていた会社帰りのコーヒー。
今日も佐伯のお店で1杯飲もうと彼の店に行ったらドアは開いていたけれど
客さんが居なくて照明も落とされていた。
クローズドの看板は立ってなかったはずなのに。

定休日でもない。はず。

どうしてだろうと恐る恐る誰か居るかもと厨房へ向かう里真。

「いらっしゃい」
「あの。今日ってお休み…ですか?」

なかに入るのは不味いだろうとそっとドアを開けると佐伯が居た。
恰好は何時もと一緒。準備はしているようで鍋からは良い匂い。

「あれ。臨時休業って看板なかった?今日は新しいメニューの開発をする日」
「え!そ、そっか。ごめんなさい。じゃあ、私はこれで」
「君に来て欲しくないなら事前に言うし玄関も閉めてます。ということで。
何時もの席に座って待っててくれる?手伝って欲しいんだ」
「手伝いですか?で、でも私食べる専門だし」
「そういう君の意見が欲しいんだ。ほらほら」
「…はい」

プロの手伝いってなに?あんまり難易度の高い事は出来ないし言えないけれど。
言われた通りに席についてハラハラしながら待つ。

「食べてみてくれますか」

机にさっと差し出されたのはシンプルなお皿にセンスよく配置されたお肉。
かけられたソースの香りがなんとも食欲を誘い、付け合せの野菜も色とりどりで
目にも美味しい。お店で食べたら絶対に高い料理だ。

まだ夕飯を食べてないのとお弁当少な目の所為で空腹感がさらにアップ。

さりげなくお腹をさする里真。

どうかお腹が鳴りませんようにと念じて。
佐伯もあいた席に座り様子をうかがう。

「食べてみて」
「…え」
「素直に答えてくれたらいいから。はいどうぞ」
「ふ、普通に頂きますから」

お願いだから、ふたりきりだからってアーンって子どもに食べさせるみたいに
しないでください。恥かしい。

「俺しか居ないよ。…ほら、あーんってお口あけて」
「も、もう。……ぁーん」

でも結局彼の望むままに口をあけて食べさせてもらう。
味は当然美味しい。けど恥かしくて視線を逸らす里真。

「どう」
「美味しいです」
「顔真っ赤」
「誰の所為ですか」
「俺の所為、かな」
「でも…美味しいです。本当に」
「そう。よかった」

ニコニコと満足そうに笑う佐伯にまだオロオロする里真。
佐伯自身も一口食べて厨房から持ってきていたメモに何やら走り書きしていた。
チラっと見るとそこには料理のレシピらしきものが乗っていて、
彼がお店に出すメニューを試行錯誤している様子が伺える。

彼は何をしても平均以上ですんなりやってしまうように見せかけて

実は裏で必死の努力があるんだと思う。

「私もがんばろう」
「ん。何が?」
「慶吾さんみたいに私も一生懸命がんばろうって」
「え?どうしたの急に」
「努力って大事だと思って」

そんな人の側に、すぐに油断したり飽きてしまう女なんて似合わない。

「まあ、俺はそれを怠るとダイレクトに仕事にひびいてしまうから」
「プロって感じで素敵です」
「そんな綺麗なものじゃないんだよ。何度もやめようと思ったしね。
スーツ着て革靴はいて会社で働くのも悪く無いかなって思うこともある」
「それは、…それで、似合いそうですけど。でもこんなに繁盛してるのに」
「さあ理真。もっと食べて感想を聞かせて。ほらほらお口をあけて」
「だ、だから。自分で食べられますってっ」

試食していたらすっかり夕飯を食べさせてもらう形になって。
新作のデザートまで食べさせてもらってすっかり満腹になる。
コーヒー1杯飲むつもりがキッチリ食べて長居するなんて。

「さて。改善すべき点を幾つか見つけられたし。今日はこれくらいにしようかな。
付き合ってくれてありがとう。もう遅いから家まで送るよ」
「それは」
「幾らお試しの彼でも君の事は守るから。どうせこのまま俺も家に帰るし」
「……じゃあ」

食後のお茶を貰ってのんびりしていると片づけを終えた佐伯が来る。
彼の車に乗って家の傍まで送ってもらうことになった。
そんなつもりは無かったのに今日は甘えっぱなしだ。
里真はカバンを持って裏手にある駐車場へ。続いて彼も来て車に乗る。

「どうしたのそんな顔して」
「いえ。なんだか悪いなって思って。新作の味見なら私よりバイトさんの方が」
「いいんだよ。俺は君の意見が欲しかったんだし」
「私の意見なんて」
「シートベルトして。ほら。俺がつけてあげようか?」
「いいです自分で出来ますからっ」

恥かしそうに顔を赤らめシートベルトをつける里真。笑う佐伯。
車が走り出して家へと向かっている。車だったらあっという間に到着する距離。

あっという間にもう終わり。何となく残念な気分。


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