ゆえん

Ⅰ-Ⅵ


     *

いつもより一時間早く、冬真は店に出勤した。

誰もいない静かな店内で、一通り準備を済ませた後、ふとBスタジオに足を踏み入れた。

ドラムセットの前に座り、置いてあったスティックを握る。

小さくリズムを叩きながら懐かしい感覚を取り戻していく。

そういえば最近全然叩いてなかったな。

刻んでいくリズムが心の中を晴らしていくように爽快だった。

段々と全身の動きが早くなっていき、いつしか夢中になって叩いていた。

手を止めたのは、窓越しに浩介が見ていることに気付いてからだった。冬真が手を止めたのを見て浩介が中に入ってきた。


「またやればいいのに。メンバーならいくらでも探してやるぞ」

「いや、もうかなり感が鈍ってるんで、前のようには叩けないっすよ。昨日は、遅くに呼びつけてすいません」

「いや、あのコのことは楓も気にしていたから」

「そうみたいですね。楓さんから聞いたことがあります」

「こっちでも揉めたみたいだな」

「こっちでもってことは、『Rai』でも、ですか」

「そうなることを望んでいるようなところがある、って感じだな。見ていると危なっかしくて、何とかしてやりたくなる」


自分の顎先を擦りながら浩介は苦笑いしていた。

この人は懐が深い。

そして人というものをよく見ている。

だからこそ心に染み入る曲を作り出せるのだろう。

冬真はしみじみと感じていた。

そんな浩介からの誘いだったからこそ、自分もこの仕事を引き受けたし、今ここで、人間らしく生活をしていられるのだ。


「それでさ、ちょっと気になることがあるんだが」

「なんですか」


< 51 / 282 >

この作品をシェア

pagetop