斬声の姫御前

姫の運命

y一五番は、ゆっくりと親しくなりながら、そのうち「斬声」を言わせて見せようと思っていた。同じ獄中で過ごすうちに、姫とy一五番は少しずつ心を通わせていった。

 その次の日、久しぶりの運動の時間があった。死刑囚といえども、運動をしたり散歩をしたりすることは許されている。ただ、y一五番は凶悪犯のため、サライが銃をかまえて散歩道を一緒に歩いた。

(これは、可憐だ)

 y一五番は、散歩の途中で、つつましく咲く野の花を見つけた。姫は、胸元に花を飾っているが、それは造花のバラだ。愛らしい姫には、生花がよく似合う……。そう思ったy一五番は、サライに声をかけた。

 「花を持ち帰りたい」

 サライは、念入りにその花を調べ、危険物ではないとわかると、そのままそっと返してくれた。いつも便宜を図ってくれるサライならではの心遣いだ。

さて、y一五番は、独房に帰ると、窓辺で外を見ている姫に、ちょっと立ってくれるように頼んだ。不思議そうに立つ姫の胸元に、造花のバラではなく、生花の可憐な野の花を、造花のブローチピンで留めてやると、姫は顔いっぱいに笑顔を浮かべた。

 (花だ……姫は、存在が、花なのだ……)

 y一五番が髪を整える時に使う鏡に照らしてみて、無言で喜ぶ姫は、少女らしく、また咲き誇る春の花のようだった。雪のような花びらのごとく、ちらちらとまなざしに浮かぶ喜びの光を見ながら、y一五番は、姫にひかれていくものを感じてはいた。だが、自分の年が気になった。

 (こんな若い娘にひかれるなどど……いや、ひかれるというよりは、妹のような存在かな……)

 思いにふけっていると、刑務所内の売店で、月に一度買えるノートと鉛筆を使っていいかと、姫が身振りで尋ねた。もちろん、というと、姫は作りつけの文机に向かって、何事かを書いていた。そして、文が出来上がると、ノートをぴりっと破いて、y一五番に恥ずかしそうに見せた。

 『ありがとう』

 (そうか……筆談という手段があったか)

  y一五番は、口元をゆるめながら、自分もノートに書いた。

 『気に入ってくれたなら、いちばんの喜びだ』

  姫は、小さな花びらを、嬉しそうに指でもてあそんだ。少し照れたように、月の光のような笑みを浮かべて。y一五番は、微笑んだ。姫の笑みに、覚悟はしていたがやはり浮かんでくる死への恐怖は薄れていった。そして、ふと思いついて、彼は文机に向かった。そして、遺書を再び書き直した。

 「遺品の櫛は、『斬声の姫御前』に譲る」

y一五番は、鏡の前に置いてあった櫛を取った。それは、男物の武骨な櫛で、娘たちが喜ぶような装飾はないものの、丈夫で髪をさらさらとほどけるように梳かすことができた。弟からの、大切な贈り物を、彼は万一のために姫に遺すことにしたのだ。y一五番は、櫛で姫のしっとりした髪を梳いてやった。姫は、娘らしく、鏡の前でなされるがままになり、肩までの長さの黒髪を、自分でも触ってみて、にこりと笑った。


 それから、しばらく時が経った。ある日、突然サライ、数人の刑務官と典獄がやってきた。サライは、ちらりと目配せした。そのまなざしには、かすかに哀しみが宿っていた。典獄は、相変わらずだるそうな、どうでもいいようななげやりな声で告げた。

 「y一五番。お前は、一向に娘から声を引き出し、枯らすことができない。王は、しびれをお切らしだ。お前たち二人、なかよくあの世へ行くがいい。y一五番には、刑法通り絞首刑、娘は斬首だ。」

 典獄の後ろから、刑務官が数人出てきて、手錠をかけようとした。そのとき、サライが制止した。

 「私がやる」

 サライは、y一五番の方へ、ゆっくりと歩いてきて、じっと彼を見つめた。あってはならないことだが、サライの目はうるんでいた。

 サライがy一五番に手錠をかけようとした時、姫が駆け寄って、マスクをはずすように激しい身振りで訴えた。典獄は、目で合図をした。サライ始め刑務官たちが、姫のマスクを苦心して外した。

 (まさか……声を、出すのか? )

 y一五番は叫んだ。

「みんな、姫は声を出す! 下がれ! 姫の声は、傷をつけるどころか、人を死に至らしめる! 約束通り、私だけが受け止めるのだ! そして、必ず生き延びてみせる! 」

 典獄含む刑務官たちは、顔を見合わせて、独房から離れた。そして、なりゆきをじっと見守った。

 「さあ、姫。怖がらないで。私は生きる。生き延びる。声を、出してくれ」

 姫は、ちょっとうつむいた。そして、y一五番から贈られた、まだみずみずしく咲く、ほんのり甘い香りのする野の花を、ブローチピンから取って、彼に笑顔で手渡した。笑ってはいるものの、心の中の痛みを無理に抑えた、不自然な微笑だった。

 そして、彼女は口を開いた。薄い、バラの花びらのような唇を、かすかに開けて、一筋の雪の涙をこぼして。

 「リーフェ! 」

 一瞬で、姫はくずおれた。y一五番は、何が起きたか理解できなかったが、すぐに彼女が「遺声」を言ったのだと気付いた。彼は駆け寄った。姫を腕に抱くと、彼女の唇からは、かすかに血が流れていた。声が、口の中で特殊な共鳴を起こして、舌が切れ、こと切れていた。y一五番は、必死で姫を抱きしめて、男泣きに泣いた。

 「なぜだ……なぜだ、姫。あなたは死ぬ必要はなかった。死ぬべきだったのは、この私なのだ……」


 刑務官たちは、あまりの急な出来事に、呆然としていた。典獄は、興味がなさそうに立ち去った。サライが、独房の中に入り、櫛を持ってきた。彼は、この櫛をy一五番が愛用し、姫に遺品として遺そうとしたことを知っていた。サライは、そっと父親のようにやさしく、y一五番の肩をたたき、櫛を渡した。y一五番は、涙を袖で乱暴に拭くと、櫛で姫の安らかな顔にかかった黒髪を整え、死に化粧代わりに、さらに美しい姿で、黄泉の国へ旅立つ支度をしてやった。

「y一五番。約束通り、恩赦だ。明日には、放免する。支度をして、待っているように」
 
 サライは、そう言い残して、姫の遺骸を運ぶ担架を持ってきた他の刑務官たちと去っていった。y一五番は、姫がいつも外を眺めていた窓辺に立った。思いがけなく、一人の女性の死によって得られた生は、弟と再び暮らせるとはいえ、今の彼にはなんの歓喜ももたらさなかった。彼は座った。姫と同じ目線で、外を眺めた。かごの鳥ではない、自由にコロコロと鳴く小鳥が、赤く染めあげられた夕空をかすめて、飛んでいった。
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