あしたのうた


そうかもしれないと、俺は思う。だが、そうだと断言することも出来ないと、思う。


この世に絶対など存在しない。絶対と云われる老いや死ですら、俺たちの与り知らないところでは存在しないのかもしれない。


パラレルワールド、というものがある。


所謂並行世界。この現実とは別に存在する、もう一つの現実。


もう一つの現実が俺たちと同じルールの世界なのかと問われれば、それは確実にそうとは言えないだろう。


何故なら、俺たちはパラレルワールドに行ったことが、ないからだ。


行ったことがない、というのは語弊があるのかもしれない。少なくとも、行ったことがあるという記憶を持っているひとはいないのではないだろうかと思う。ネットにはそういった話はないわけでもないが、記憶ほど確実性に欠けるものはないと思っている俺からしたら取るに足らないものだ。


そもそもパラレルワールドは存在するのか。それすらもはっきり答えを提示することは難しい。行ったことがないということは存在していないからかもしれないし、行くことができないからかもしれない。答えを返すとすれば、あるかもしれないしないかもしれない、としか言えない。


それは各々が信じるか信じないかだ。存在したとしてもしていなかったとしても、それは大抵の人間にはきっと関係ないことで、気にすることも早々なく生きて死んでいく。


ではそのパラレルワールドに、老いは存在するのだろうか。死は存在するのだろうか。絶対、と云われることは存在しているのだろうか。


同じ現実、ではなく、もう一つの現実。それがパラレルワールドであり、並行世界。


つまり、このいま俺たちの生きている現実の常識がルールが生活が、もう一つの現実でも同じと言えるかどうかは分からないということだ。


あくまで、もう一つ。同じではないのである。常識がルールが生活が、誰がもう一つの現実と同じだと言った。それが真実だと誰が決めた。


家庭や地域や国、環境が違えば少しずつ少しずつ、そのうち大きく違ってくる常識やルール、生活が、同じだと言い切れるはずがないのに。パラレルワールドと言ったら、大抵のそれらは同じだと信じているひとがきっと大半を占める。


パラレルワールド。並行世界。もう一つの現実。


例えばもう一つの現実では、殺人が許されているとしたら。例えばもう一つの現実では、何もかもが反対だとしたら。例えばもう一つの現実では、死こそが生だとしたら。


もう一つの現実に生きる人々からすれば、それが常識でルールで生活なのだ。


俺たちの生活する現実では、信号機の色は青が進めを表し、黄色が注意を表し、赤が止まれを表す。それが逆だとしたら。赤が進め、黄色は好きにしろ、青が止まれだとしたら。俺たちの現実では殺人は重罪に当たるが、寧ろ褒められるべきことだったとしたら。俺たちの現実での誕生が、もう一つの現実では死という意味を持つとしたら。


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