小さな恋、集めました 【オフィス編・1ページの短編集】
「今度は俺があなたの教育係になります」
「中津くん、おめでとう。社内デザインコンペはキミの優勝だ」
 相川課長の声を聞いて、三歳年下の中津くんが私の右隣のデスクから弾かれたように立ち上がった。
「ホントですか?」
 くっきりした二重の目が特徴的な人なつっこい顔を、嬉しそうに輝かせている。
「ああ。これから一ヵ月、企画営業部一丸となって中津くんをサポートしよう」
「ありがとうございます!」
 中津くんがぺこりとお辞儀をした。そうして私を見る。
「優勝できたのは新庄さんのおかげです。新庄さんが教育係としてしっかり指導してくださったから……」
 彼に感謝の視線を向けられ、私は照れくさくなって右手を振った。
「中津くんの実力だよ」
「じゃあ、俺、もう新庄さんに教育係を卒業してもらってもいいですよね!?」
 中津くんの問いかけに、課長が答える。
「そうだな。入社二年目に入るし、もう一人でも大丈夫だろうな」
「やった!」
 中津くんがガッツポーズをした。
 それってなんだか傷つくなぁ。もう私なんて必要ないってこと?
 寂しい気持ちになったとき、中津くんの右隣の席から彼と同期の佐倉さんが声を上げる。
「やったねー、中津くん! がんばってたもんねぇ! あたしも差し入れがんばったよ! これからも全力でサポートするねー!」
 佐倉さんは上目遣いでボリューミーなまつげをバタバタさせながら、かわいらしく微笑んだ。
「くそー、中津が優勝したのは佐倉さんのおかげだったのか! 佐倉さん、次は俺に差し入れ頼むよ~」
 中津くんと向かい合う席から、彼のひとつ上の淡路さんが言った。淡路さんってば目尻がだらしなく垂れちゃってる。
「あたしは中津くん専用のサポーターなんですぅ」
 佐倉さんが艶のあるピンク色の唇を尖らせた。あれは小柄でスタイル抜群な佐倉さんがやるからかわいいんだろうなぁ。大柄でスカートの似合わない私がそんな仕草をしても、どん引きされるだけだろう。やっぱり中津くんには佐倉さんの方がお似合いだ。
 そんなことを思って悲しくなったとき、相川課長がパンパンと手を鳴らした。
「ほらほら、さっそく企画会議をするぞ。誰かコーヒーを……」
 課長が言いながらフロアを見回した。佐倉さんは素早く目をそらし、課長の視線と私の視線がカチリと噛み合う。
「新庄さん、頼めるかな」
「わかりました」
 私は返事をして立ち上がった。オフィスを出て廊下を歩く。給湯室には最近導入された、オフィス向けのデカンタ専用コーヒーブルーワーがあるのだ。温風ヒーターでデカンタ全体を保温してくれるので、おいしさが長持ちするとかいうものだ。
 給湯室に入って上の棚からトレイを出し、その上にカップを八つ並べてため息をつく。
 私も言葉をかけるだけじゃなくて、中津くんに食べ物や飲み物を差し入れたらよかったのかな~。でも、もう中津くんの教育係は卒業したし、今さらどうしようもないか。
 ぼんやりとカップにコーヒーを注いでいたら、背後から突然声が聞こえてきた。
「手伝いますよ」
「きゃっ」
 びっくりした弾みで手が震え、コーヒーがトレイにこぼれた。
「驚かせてすみません!」
 中津くんがあわてて壁に掛けられていた布巾を手に取った。
「主役がこんなところでなにをしてるの」
 私は言いながら両手でカップを持ち上げた。そのカップの底に中津くんが布巾を当ててコーヒーの滴を拭い、続いて手際よくトレイを拭く。それを繰り返し、こぼれたコーヒーはすっかりキレイになった。
 阿吽の呼吸ってこういうこと?と思ったとき、中津くんが口を開く。
「俺たちって息ぴったりだと思いませんか?」
 同じことを思ってたことにドキリとする。
「そ、そうかな」
「そうですよ。俺が企画書を書いているときも、プレゼンを作ってるときも、新庄さんがかゆいところに手が届く的な、的確なアドバイスをくれたから、今回コンペで優勝できたんです」
 かゆいところに手が届く的、とはおもしろい表現だけど、役に立てたんだ。
「ならよかった」
 私がトレイの持ち手に両手をかけたとき、中津くんが私の右手にやんわりと右手を重ねた。
 驚いて見上げたら、彼が真剣な表情で私を見ている。
「俺、新庄さんに追いつけましたか?」
「え?」
「新庄さんは去年、コンペで優勝してました。今年は次点でした。そんなあなたに、俺、少しは追いつけたでしょうか?」
「追いつけたどころか……追い抜いたと思うけど」
 なにしろ教育係はもういらないって遠回しに言ったくらいなんだから。
 私は中津くんの右手を振り払った。彼は右手をぎゅっと握って、緊張した表情になる。
「言いたいことがあるんです」
 そんな顔で言いたいことってなんだろう。私の指導法が気に入らなかったとか?
 無言で見返すと、中津くんは小さく喉を鳴らした。
「新庄さんのことが好きです」
「え?」
 予期せぬ言葉に眉を寄せる。私なんていらないって言ってなかったっけ?
 彼は真剣な目をして続ける。
「俺にはもう教育係は必要ないんだって、一人前になれたんだってみんなに認められたら、新庄さんに伝えようと思ってました」
「で、でも、なんで私なんか……」
「俺じゃダメですか?」
 中津くんに一歩詰め寄られて、反射的に一歩後ずさった。
「だって、私……中津くんより三歳も年上だし、身長なんか十センチくらいしか低くないんだよ?」
 中津くんがさらに一歩足を踏み出し、私は一歩下がった。とんっと背中が壁にぶつかり、それ以上下がれなくなる。
「俺、新庄さんより三歳も年下だし、身長なんか十センチくらいしか高くありません」
 彼が言って、私を囲うように私の顔の横に両手をついた。
「それでも、新庄さんが好きです。新庄さんがいてくれたからがんばれた。俺じゃダメですか?」
 こんな至近距離で彼を感じて、心臓がバクバク破裂しそうに音を立て始める。
「で、でで、でも私っ、男の人と付き合ったことないし、きっと中津くん、つまんないって思うよっ」
 一瞬目を見開いた彼が、ふわっと微笑んだ。
「じゃあ、今度は俺があなたの教育係になります」
「え、え?」
 目を丸くした私を、中津くんが目を細めて穏やかに見つめる。
「こういうときは黙って目を閉じるんです」
「え、えっと」
 瞬きしているうちに、彼が顔を傾け長いまつげを伏せた。
「ほら、ちゃんと教育係の言うことを聞いて」
「あの」
 彼の右手が私の左頬に触れた。促すように親指でまぶたをなぞられ、戸惑いながらも目を閉じる。ゆっくりと唇に柔らかくキスが落とされた。中津くんの右手が私の肩から腕をなぞって手に降り、指先を絡められる。
「これから先もいろいろ教えてあげます。だから、俺の彼女になってください」
 そのささやき声は頭の芯をとろかせるほど甘くて、私はこっくりとうなずいた。
 これからは彼が私の恋の教育係になってくれるらしい。

【了】
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