「ただいま」
 ドアを閉め、誰もいない部屋の中に向かって小声でつぶやく。のろのろと靴を脱ぎ、買い物袋を冷蔵庫の前へ運んだ。静かな部屋には慣れているのに、静かすぎてなんだか落ち着かない。
 買ってきた食品を冷蔵庫に詰め込み、風呂に湯を張る。勢いよく噴き出る湯をバスルームの入口でぼんやりと眺めた。
 一応、食べるものを購入して帰宅したけど、今夜はひと口ものどを通りそうになかった。
「あー」
 自分の声が湯水の跳ねる音に吸い込まれて消える。
 病院で見た、優輝の痛々しい姿を思い出し、唇を噛んだ。
 彼が骨折したのは右の脛(すね)で、その部分が激しく腫れ上がっていた。まずは足を牽引し、腫れているところを冷やすらしい。腫れが引いた後、手術をし、固定具を入れる。リハビリも含め、完全に元通りになるには約1年かかると聞かされた。
「1年って……」
 骨折自体はきれいにぽっきりと折れていて、快復も早いだろうというのが医師の見解だったが、それでもこの先1年間はまともに仕事ができないと宣告されたも同然だ。
 あんなひどい事故だし、それが動かしがたい事実だと頭ではわかっている。だけどこの事態の重大さを受け止めきれず、私は優輝の病室から逃げるように帰ってきてしまった。
 ——私をかばったせいで……。
 大きなため息が漏れた。
 自分自身を責めたところで、過ぎ去った時間は戻ってくるわけではない。
 そんなことはわかっている。でも責めずにはいられない。私にはそれしかできることがないのだから。
 ふと、気が緩んだ。涙がぼろぼろとあふれ出す。
 なぜこんなことになったのだろう。
 私がドラマ撮影の見学に行かなければよかったのかもしれない。私がいつもどおり会社に仕事に行けば、優輝も順調に撮影ができたはずだ。そしたら今夜も優輝はここに帰ってきて、明日はまた普通の1日が来たのに——。
 突然にぎやかな電子音が耳に飛び込んできて、無限ループ中の思考が急停止する。携帯電話の着信メロディーだ。玄関に放置してあったかばんから携帯電話を取り出した。
『無事に帰ったか?』
 なにげないひとことに胸がいっぱいになった。優輝と電話で話すのは、たぶんこれがはじめてだ。声が普段よりほんの少し優しく聞こえる。
「うん」
『泣くな』
 なぜバレているのだろう。まだ鼻をすすっていないし、がんばって普通の声を出したつもりなのに。