どうしてほしいの、この僕に
 高木さんが信号で止まった隙に白い歯を見せた。
 いやいや、どこが?
「そうは思いませんが」
「言うと思った!」
 車内に高木さんの笑い声が弾ける。期待どおりの返事をしてしまったらしい。シニカルな気分にはなるが、笑みの形を忘れた頬の筋肉は一瞬ぴくっとひきつっただけ……。
「それで、優輝の退院はいつごろですか?」
 そうそう。これはきちんと聞いておかなければ。
 地方ロケで留守番を任された際、ひとり暮らしを満喫しているまっ最中に、突然優輝が帰ってきて驚愕したのだった。思えばあの気の緩みが優輝と私の関係をこじらせたような気がする。ま、その前から十分へんてこな関係でしたが。
「一応、手術後のリハビリが順調なら1ヶ月以内には家に戻れるらしいよ」
 口調は柔らかいが、高木さんの表情はスーッと消えてしまった。それを目にした私の心も急速に冷え込んでいく。
 いくら命に別条がないとはいえ、大けがであることは間違いない。その事実を前にすると、どうやっても明るい気分にはなれなかった。きっと高木さんも同じなのだろう。
 一気に空気が重苦しくなった車内で、私は必死に息を吸い込んだ。そして吐き出すのと同時に言った。
「やっぱり私がお見舞いに行くのは迷惑ですか?」
 高木さんが驚いたように目を見開いて、私を一瞥した。
「迷惑? どうして?」
「電話で優輝に『病院に来るな』と言われたので、迷惑なのかと……」
「迷惑ではないと思うけど、しいていえば恥ずかしいのかもな」
「恥ずかしい?」
 私は首を傾げた。その理由がわからない。
 高木さんは前を見たまま言った。
「今の状態だと、アイツはひとりでトイレにも行けないんだ。そういうところ未莉ちゃんに見られたくないんじゃないかな」
「え、そういう理由ですか」
 ——トイレ!
 それは考えもしなかった。しかし言われてみればトイレ事情は深刻に違いない。ひとりでトイレに行けない、ということは誰かに手伝ってもらったり、トイレではない場所で用を足さねばならなかったり、ということでしょうか。
 もし私だったら……うわーっ、考えたくない!
 けがは痛むだけでなく、日常生活を不便にする。
 そんなものを優輝に負わせてしまうなんて。この真相が暴露されたら、私は世の女性から袋叩きに遭うのでは!?
「あと事務所の人間も交代で付き添っているから、他人の目も気になるだろうし」
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