どうしてほしいの、この僕に
 言葉じりが惨めなほどすぼんでいった。膝の上に置いた通勤かばんを一心に見つめる。
 西永さんの言葉は、すなわち私のオーディション不合格を意味していた。
『なんでこんなところに来てんだよ』
 優輝の言ったことは正しかったのだ。もしかしたら、なんて一瞬でも思った自分が恥ずかしい。
 西永さんの言うとおり、視聴者が見たいのは明日香さんの愛くるしい笑顔であって、そんなウリすらない私自身にはなんの価値もない——それがこの世界の現実だ。
「でも昨日は僕に勝ったじゃない?」
 隣から意外な言葉が聞こえてきた。それにしてもこの人、私とふたりきりのときと微妙に口調が違うような気がするんだけど、気のせい?
「勝った……って、あれはにらめっこじゃないですよ!」
 ハハハと優輝の陽気な笑い声が車内に響く。運転席の高木さんまでクックッと肩を震わせて笑っている。笑わせるつもりで言ったんじゃないのに。
 ひとしきり笑うと優輝が私のほうを向いた。
「本当に昨日はごめん」
「だから、私は気にしていませんので」
「気にしているくせに」
「これっぽっちも気にしていません!」
 なぜだかわからないけどムキになって言い返すと、優輝は仕方ないなというように目を細めて、また私のほうに手を伸ばした。今度は頭のてっぺんの髪をくしゃっとつかむ。
「もっと気にしてよ。僕は未莉が1番よかったと思っているんだから、さ」
 心臓がドキッと音を立てた。膝がくっつきそうな距離に守岡優輝が座っているこの状況だけでもありえないことなのに、い、今のセリフは、ゆ、ゆ、夢じゃないよね?
「う、うそ、でしょ?」
「今夜僕がなんのために来たと思う?」
「そ、それは……」
 彼の指がゆっくりと頭を撫でる。思わず目を閉じてその指の動きを堪能したい衝動に駆られたが、さすがにそれでは私が危険人物になってしまうと思い、ぎりぎりのところで踏みとどまった。
 それにしても心臓は壊れそうなくらい暴れているのに、脳内がうっとりしてしまうのはなぜだろう。もう自分でも自分がどうなっているのか、わけがわからない。
 不意に優輝の顔が近づいてきた。
 な、な、何を……!?
 そう思った瞬間、車が止まる。
「じゃあね」
 頬にふれそうな近さで優輝が囁く。最後に頭をくしゃくしゃと撫でられ、その手が私に向かってバイバイした。
 ぎこちない動作で車を降りた私は、戸惑いながら手を小さくふり返してみる。するとドアが閉まる直前、優輝の口角が上がるのが見えた。ピッと短くクラクションの音がしたかと思うと、車は急発進した。
 気がつけば、私は手をあげたままで、歩道にぽつんとひとり取り残されている。別れ際に見た優輝の蠱惑的な表情が網膜に焼きついてしばらく消えそうになかった。
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