どうしてほしいの、この僕に
 せっかく手を貸してくれると言っているのだから、その手につかまって……、と相手の顔を見た私は「ひゃぁ!」と奇妙な声を発した。
「未莉、起きろ」
 私の前になぜか優輝が跪(ひざまず)いていた。
「言われなくたって、立ちますとも」
「いいからすぐに起きろ。もたもたするな」
「でも、いててっ、腰が痛くて……」
「そんなこと言っている場合じゃない」
 優輝がふわりと私の上体を抱き起した。顔が近い。な、な、なんかこの展開、突然すぎる!
 その瞬間、私の鼻がぴくっと反応した。きな臭いような……。
 これは何かが燃えているにおい?
「未莉、起きろ!」
 脳内に誰かの絶叫が響き渡る。
 優輝の姿はかき消えた。次の瞬間、黒い闇が私の視界を覆ったかと思うと、風がごうごうと鳴り、ぱちぱちと木が燃える危険な音が聞こえてきた。足元のほうに、ぼうっと勢いよく紅の炎が上がり、獰猛な舞を踊り始めた。
「え、ちょっと待っ……!」
 布団をはねのけて飛び上がった。目を開けたそのときから頬に熱風が吹きつけるのを感じる。
 まずい。火事だ。
 ……うそでしょ。どうして燃えているわけ? そりゃ、このマンション古いけど。あ、そっか、古いから燃えるのか!
 目覚めたばかりの私は明らかに混乱していた。だけどとにかく逃げろ、と本能が告げる。
 パジャマの袖口で鼻と口を覆い、通勤かばんを探す。その間に消防士さんの大声が聞こえてくる。
「助けてくださーい! ここに、ここにいます!」
 聞こえただろうか。
「おーい」と声を上げながら、かばんと一緒にかけてあった上着をつかんだ。それから玄関のほうへ向かったけど、玄関はもう炎に侵略されていて靴を取りに行けない。
 バリバリと壁を壊すような音が近づいてきて、ガシャンと窓ガラスが割れた。振り返ると消防士さんが窓の向こうでこちらに手を差し伸べていた。
 部屋の外に連れ出されて、ようやく助かったという実感がわいた。パジャマの上に急いでコートを着込み、裸足のまま救急車に連行される。地面は痛いけど、これくらいは我慢しなければ。
「けがはありませんか」
「おかげさまでどこも無傷です」
 救急隊員さんはホッと表情を緩めて、家族に連絡を取るように勧めてきた。私が通勤かばんからケータイを取り出すと、救急隊員さんは次に運ばれてきたマンションの住人へと駆け寄る。
 私は救急車をおりて、唯一の肉親である姉に電話をかけた。
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