「わかった。移籍を認めるよ。優輝にはずいぶんがんばってもらったからな」
 八の字に垂れた眉が悲しいほど強調され、大手芸能プロダクションの社長らしい威厳はどこにもない。
 即座に反論の声が上がった。
「私との取引はどうなるのよ」
「僕は日本を出ていくので、未莉とはここでお別れです。約束は守りますよ」
 優輝が余裕のある口調で念を押す。
 ——え? ここでお別れって……そんな!
 私の胸は鋭い刃物で抉られたように痛んだ。傷口から流れ出るのは醜い感情ばかりで、これならいっそ本当にナイフで刺されたほうがましだったかもしれない、と思う。
 竹森サイラが「ふふっ」と勝ち誇った笑みを浮かべる。
「いいの? そんな約束しちゃって。彼女、泣きそうな顔しているわよ」
「私は泣きそうになんかなっていません」
 黙っていられず、思い切って反論すると、竹森サイラは意外そうに眉を上げた。
「守岡優輝があなたを守ろうとしているのに、それをぶち壊す気?」
「守岡さんに大けがをさせたのはあなたですよね?」
 私は竹森サイラの顔を正面から睨んだ。モデルとして活動していたこともあるほどだから整った美しい顔立ちには違いない。でも温かみに欠ける目つきは好きになれそうもない。
「違うわ」
 彼女は堂々と否定した。
 そうなるとこれ以上追及できない。彼女があの事故を引き起こした犯人だという証拠がないのだ。
「柴田未莉さんって、すぐ他人にケンカを売るのね」
「違います」
 私は即座に反論した。
 そこに男性の声が割り込んできた。
「まあまあ落ち着いて。サイラさん、申し訳ないが優輝をやることはできない。彼には彼の意志があるからね」
 成田プロの社長の言葉で、燃え上りかけた私の闘争心は一気に鎮火へ向かう。
 逆に竹森サイラは怒りをあらわにした。
「そんなの、ひどいわ」
「ひどいのは君のほうだ。なぜもっと早く真実を伝えてくれなかったんだ」
 一瞬、重い沈黙がこの場を支配する。
 それを破ったのはテーブルの上の食器がぶつかり合う音だった。
 竹森サイラが友広くんの腕をすり抜け、ソファの座面に足をかけてふわりと跳び越えたのだ。私も含め誰もが彼女の逃亡をただ茫然と見つめることしかできなかった。
「逃げるの!?」
 姉が彼女の背中に叫んだが、帰ってきたのはドアの閉まる音だけだった。
「はぁ。びっくりした」