どうしてほしいの、この僕に
 友広くんを置き去りにして、会社へ急いだ。すれ違う人に挨拶をしながら所属部署へ向かうと、どういうわけか始業前から課長が腕まくりをして、きびきびとファイルの山を移動している。他の人たちもデスクを片付けたり、埃の積もったキャビネットをせっせと雑巾がけしていた。
「あの、今日は大掃除の日ですか?」
 私は隣の席の男性におそるおそる声をかけた。中堅社員の男性は私に柔和な笑顔を見せて言った。
「明日急にお偉いさんが来ることになったんだ。それでみんな慌てて環境美化に取り組んでいるんだよ」
「お偉いさん、ですか」
「ほら、今は経済界の重鎮になっている、うちの昔の社長。柴田さんも新聞やテレビで見たことあるでしょう。あの人が現場を激励しに来るんだって」
 ああ、とテレビニュースに登場した白髪交じりのおじ様の顔を思い浮かべて頷いた。背が高く、鋭い眼光が印象的な細面の顔で、切れ者という雰囲気が全身からにじみ出ているような人だった。
 そんな偉い人が視察に来るとなると、このだらしない印象しかない職場環境はまずいだろうな、と思う。乱雑な職場を見渡し、隣の席の男性に尋ねた。
「私は何をすればいいでしょうか」
「柴田さんのデスクは片付いているから、あ、そうだ。コピー室の掃除をお願いします」
「わかりました」
 返事の後、回れ右をしたら友広くんの姿が目に飛び込んできた。青白い顔の彼はわけもなく宙を睨みつけ、私が視界に入ることを拒むようにそっぽを向いていた。
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