オレンジの雫
オレンジの実り
ナチスドイツが、ヨーロッパにほの暗い戦争の陰を落とし始めた、セピアの時代…

都会では、ファシズムを容認する演説が鳴り響いていたが、広大なオレンジ畑が広がるこの長閑かな海沿いの街には、まだ、その不穏な陰は差し込んでいなかった。

しかし、やがてこの街にも、ほの暗い戦争の陰が訪れるのかもしれない…


「セシーリア!待ちなさい!」

そう叫ぶ父の声を振り切って、セシーリアは、上質の生地で仕立てられたワンピースの裾を揺らしながら、オレンジ畑に伸びる長い坂道を駆け降りていく。

後ろできちんとまとめていたライトブラウンの髪が、走る勢いでほどけるのも気にせずに、彼女は、ヒールの踵で石畳を蹴った。

綺麗な眉を寄せて、険しい顔つきをしながら、セシーリアは、実に不愉快そうに呟いたのである。

「誰が軍人なんかと結婚なんてするもんですか!」

この広大なオレンジ畑を所有する彼女の父は、今や、我が物顔でイタリア中を闊歩する軍の将校と、まだ年若い彼女と結婚させようとしている。

セシーリアは、軍人が嫌いだ。

常に人を見下したような、実に偉そうなあの態度が鼻について仕方ないのだ。

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