愛すれど…愛ゆえに…
5、微かな希望と襲い来る戦慄

冬季也「あのね。さっき居た女性は……僕の恋人」
伊吹 「えっ……
   (あの人が、冬季也さんの……恋人!?)


私は冬季也さんの口からこの二文字がでた瞬間、
頭の中は真っ白になった。
眼中にはなかった人物。
とんでもないライバルの出現に、
思わず両目から自然に大粒の涙があふれる。
それを見ていたニキさんも、
私の意外な一面を見てさっきとは打って変わり、
無言で慰めるような優しい表情になる。
彼の部屋の空気は突然、緊張感に包まれ一変した。


流れ出す涙を必死で止めようとしていたけれど、
止めようとすればするほど、意に反してどんどん溢れてくる。
それは彼の言葉が、
今の私のハートにはあまりにもショックだったから。
分かっていたこんな結末。
でも、もしかしたらってほんのちょっとだけ期待していた。
心の片隅で、彼と過ごす優しい時間を想像しながら。


冬季也「ごめん。彼女は僕の恋人なんだよ。
   僕は一生、彼女と歩いていくつもりでいるんだ」
伊吹 「(もうやめて……
    これ以上聞くと私のハート、壊れそうだよ)
   もういいですよ、冬季也さん。
   よく分かりましたから。
   それ以上は言わなくても、もう……」
冬季也「伊吹ちゃん」


それまで黙って私を見守るように見ていたニキさんが、
堪り兼ねたように深い溜息をつき、
力強い口調で不機嫌そうに語りだした。


向琉 「はーっ。違うでしょ、先輩」
伊吹 「(えっ。違う……)」
向琉 「そうやっていつも自分に言い聞かせるように言ってるけど、
   あれは僕の兄貴にくっついてた女で、
   先輩は間に入ってとばっちり受けただけでしょ。
   何度も言ってるけど、あんなことで先輩が責任感じて、
   彼女の言いなりになる必要なんかないですよ」
冬季也「ニキ……」
向琉 「兄貴も兄貴だけど、先輩も先輩ですよ。
   男の友情もここまでくると呆れるな。
   まぁ。なんだかんだ言っても、諸悪の根源はあの女なんだけどね」
伊吹 「あ、あの。詳しく聞かせてもらっていい?
   それって、どういうことなの?」

わけが分からず戸惑う私の問いに、
二人は顔を見合わせて黙っていた。
けれどニキさんが冷静に答える。


向琉 「先輩。僕から話していいですか」
冬季也「あ、ああ」
向琉 「あの女、僕の兄貴に惚れてたみたいでさ、
   一年半前からずっとストーカーみたいに付きまとってたんだ」
伊吹 「ストーカー?」
向琉 「兄貴の出勤時間や帰宅時間はもちろん、
   休日出かける時もずっと後をつけてくる。
   行動がわからない時は兄貴が帰宅するまで待ってて、
   部屋の電気がつけばずっと外で立って見ててさ」
伊吹 「えっ……」   
向琉 「兄貴には彼女がいるんだけど、
   それを知った途端に行動はエスカレート。
   兄貴の彼女にまで嫌がらせをするようになって、
   とうとう堪り兼ねた二人は先輩に相談したんだ。
   僕は警察か探偵事務所に相談に行けって言ったんだけどね」
伊吹 「そんなに酷いの」
向琉 「ああ。
   それである時、僕と先輩で相談して証拠写真を撮って、
   彼女の自宅と勤め先を突き止めて警告しに行ったんだ。
   今後、嫌がらせやストーカー行為を止めるようにって。
   止めないと公的手段にでるって脅しながらね」
伊吹 「あ、あの。
   聞いてて何だか混乱しちゃうんだけど、
   そんな人が何故、冬季也さんの恋人になるの?」
向琉 「彼女のターゲットが変わったんだよ。
   兄貴から先輩に。
   それで、今度は先輩のマンションに毎日来るようになって」
冬季也「彼女は、僕の部屋で自殺しようとしたんだ。
   だから僕に責任の一端があるから」
伊吹 「えっ!?冬季也さんの部屋でって、
   彼女は勝手に部屋へ入ったってこと!?
   それじゃ不法侵入じゃない」
向琉 「先輩。それは彼女の我儘、
   自己愛から起こしたことでしょ。
   だいたい、人の部屋に勝手に上り込んで死のうとするなんて。
   僕はそういう奴がいちばん嫌いなんだ!
   身勝手にも程がある。
   あの女のやってることは立派な犯罪なんだから、
   先輩や兄貴が責任を感じることはひとつもないんですって!
   彼女の身勝手のせいで、
   結局、先輩は住む場所を追われてここに居るんですよ」
冬季也「でも。なんであれ、僕が傷つけたのは事実だから」
伊吹 「そんな理不尽なこと……」


私は、二人から事の経緯を聞いてやっと、
今までのニキさんの行動が理解できた。
だからこの二日間、ニキさんは土手に居る冬季也さんを迎えに行き、
私に話があると言っても強い口調で突っぱねていたんだ。
あの女性を振り切るように逃げたことも納得できた。
ひと時、二人のそんなやりとりと真実を聞きながら、
彼女は冬季也さんが心から愛する人ではなかったことに、
少しだけほっとし胸を撫で下す。
だけど、肝心な私の告白の答えはもらえなかった。



(向琉の車の中)

話しが終わって、ニキさんは冬季也さんを部屋に残し、
自家用車で私を自宅まで送ってくれた。
帰る途中で荒川の土手に回り、
あの場所に立ち寄ってくれたのだけど、
放置されたままの自転車は既にそこにはなかった。


向琉「ごめん。自転車盗まれちゃったね」
伊吹「あっ。ええ。でもいいわ。
  もう古かったし、買い替えどきだったからね」
向琉「そう」


私のアパートの前に車を停めたニキさんは、
俯き加減の私の顔を覗き込むように見る。
冬季也さんと話していた時の険しい彼とはまったく異なり、
穏やかな優しい微笑みを見せた。


向琉「さっきの君、子供みたいだったな。
  あんなに泣きじゃくって……
  いつもああだと可愛いのに」
伊吹「えっ……」
向琉「やっぱり女なんだな」

ニキさんはつぶやくように言うと、
車を降りて助手席のドアを開けた。
私は彼の意外な言葉に動揺してしまい、
バッグを両手で抱えてそわそわと落ち着かない。
無言で車から降りた私の頭にぽんぽんと触れる。
そして笑顔で手を振り車に乗り込むと、
再度手をあげて帰っていったのだ。
愛すれど心は寂しく、愛するがゆえに哀しい。
そんな複雑な気持ちを抱え、
私は彼の車のテールランプが見えなくなるまで見送った。



(伊吹のアパート“ベルメゾン301号室”)


チャコ「ミャーッ!ミャーッ!」
伊吹 「あーっ。チャコごめんねー。
   お腹すいてるのね。今あげるから」


家に戻った私は、鳴きながら足にまとわりつチャコに餌を与えると、
直様ベッドに投げたバッグから携帯を取り出し、
親友の沙都莉に電話した。
そして彼女にこの二日間で起こった出来事を話す。
私の許へニキさんがきたことは勿論、
片思いの男性が居たことも驚いていた。


沙都莉『はぁー!?何それ。
   なんで、その冬季也さんって人が責任感じるの』
伊吹 「私にもわからないわよ。
   でも、彼はそう言ってるんだもの」
沙都莉『って言うかさ。
   私はイブに4年も想い続けてた人が居たことに驚きだわ。
   それにいつの間にかアダムくんとの事も進展しちゃってるし』
伊吹 「沙都莉、冬季也さんのことはね、
   本当に片思いで何となく憧れてただけだから言わなかったの。
   現実的に考えたら、やっぱり彼氏としてなんて無理だったのよね。
   それにニキさんとは、進展なんてないんだから」
沙都莉『でも、彼のマンションまでお邪魔したんでしょ?
   本気じゃなきゃ、自分のテリトリーに招き入れたりしないよ』
伊吹 「だからそれは、あの女の人から逃げるためで」
沙都莉『ムキに否定しなくていいじゃない。
   彼から好きだって言われたんでしょ?』
伊吹 「まぁ、そうだけど……」
沙都莉『イブの相手がアダムくんでも、冬季也さんでも、
   イブが輝く恋愛できて、
   幸せを感じるなら私はいいって思ってるのよ。
   でも、そうなると姫ちゃんとユウくんはどうする?』
伊吹 「あのね、沙都ちゃん。
   私はまだニキさんと何かがあったわけじゃないの」
沙都莉『そんなの時間の問題よ。
   姫ちゃんはアダムくんにゾッコンだし、
   二人の友情にもヒビが入りかねない問題だわ。
   それこそさっき姫ちゃんから電話かかってきてさ。
   今度のトリプルデートに着ていく服、
   明日のアフター5でコーディネートしてって頼まれたのよ』
伊吹 「はぁ。姫はあいつにかなりの本気モードなんだ」
沙都莉『そうよ。
   かなりってもんじゃないわよ。
   それにユウくんも、
   イブ一直線にいくってナイトに宣言したらしいから』
伊吹 「えっ!!」
沙都莉『きっとイブにとってモテ期がきてるんだと思うけど、
   自分の心はいちばんに誰を求めてるか、
   誰と居れば本当の自分を出せるのか。
   少しはそういう事実を把握して心に留めておかないと、
   気持ちがブレちゃって、最後にはひとりで抱え込めなくなるわよ』
伊吹 「うん、分かってる。
   ていうか、沙都ちゃん。
   さっきナイトさんのこと呼び捨てにしてなかった?」
沙都莉『え、ええ(焦)』
伊吹 「もしかして二人はもう……
   お互いに呼び捨てにし合っちゃうような仲ってことはないよね」
沙都莉『えっ(焦)いやぁー。
   それが実は……そういう仲になっちゃってぇ(照)』
伊吹 「早っ!」
沙都莉『彼、無茶押し強いし完全肉食系でさ。
   そういうことはタイミングも大事なのよ。
   私も“時は来たれり”ってことかな』
伊吹 「はぁー。そうなんだ」
沙都莉『だから私とナイトは、
   今度の日曜日は二人でデートする予定だから、
   イブはダブルデート頑張りなよ』
伊吹 「えっ!沙都ちゃん、行かないの!?」
沙都莉『当たり前じゃない。
   お子ちゃまデートじゃないんだから。
   なんでお手手繋いでみんなして動物園なんていくのよ』
伊吹 「はぁ。動物園?」
沙都莉『ええ。なんでも姫ちゃんのたってのお願いらしいわ』
伊吹 「えーっ。なんであの子、動物園なんかに」
沙都莉『とにかく楽しんでね。
   私はナイトと大人デートを楽しむわ』
伊吹 「そんなぁ」

ピンポーン!

伊吹 「あっ!誰か来た。
   じゃあ、また電話するね」
沙都莉『ええ。もし、悩んだらいつでも言ってよ。
   じゃあね』
伊吹 「うん。じゃあ!
   誰だろう……こんな時間に人なんて来ることないし」

ピンポーン!ピンポーン!


伊吹「はーい!どなたですか?」

執拗にドアホンを鳴らす訪問者。
私は声をかけながら、ドアの覗き窓から外の様子を伺った。
眼球に飛び込んできたシルエットを見た途端、
背筋に戦慄が走り体は緊張で硬直する。


ドンドンドン!


しかもドアの向こうの人物は無言のまま何度もドアを叩いてる。
その不気味な音に私の体はビクッ!と反応し、
先ほどよりも強い戦慄が体中を突き抜ける。
鍵のかかった玄関のドアノブを持つ手が、
じわりじわりと汗ばんできた。
沙都ちゃんと話してた時に芽生えた恋への期待感は、
降って湧いたような恐怖心にかき消されていったのだ。


(続く)
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