【第二章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

未踏の地の出土品Ⅰ

 今宵も淡い光を湛えた悠久の城では、日付が変わっても執務に従事する王と<大魔導師>の姿があった。

 火を掲げた銀の燭台がふたり分の影を真っ白な壁に映し出して間もなく数時間になるところで、長身の青年の影がおもむろに動き出した。

「歴史的価値のある出土品が見つかったとあらばこの辺り一帯を調べる必要がある。雨季が来る前に調査を終えたいところだな」

 <大魔導師>ガーラントより受け取った分厚い報告書に目を通していたキュリオは視線を外すと、その地を模した別の紙を彼へと手渡した。

「儂もそう思いますじゃ。傍を流れる川こそ穏やかですが、近くには雨量の多いことで知られる山脈が続いております。ここ数十年川が氾濫した記録はございませぬが、調査を行うにしても安全が一番ですからな」

 まだ手付かずの未開拓の地はこの悠久にもたくさんあるが、どこにでも住んでよいというわけではなくある程度民は塊となって集落をつくり、元ある自然を壊さぬよう国の決まりとして定められている。
 そのため、未踏の地にはかつての悠久の民が住んでいた生活の跡や結界を施していたとみられる術の痕跡が極稀に見つかることがあり、この度は河川の安全性に調査隊を派遣したところで思いがけない発見があったというわけだ。
 悠久の城には歴代の王たちの見聞が膨大に残されているが、抜け落ちている部分も多々見受けられる。恐らく、王の住まう拠点となる城がどこか別のところにあった可能性が高いが、悠久の歴史を紐解くにはまだまだたくさんの謎があるのだ。

「そうだな。かなり古いもののようだが、報告書ではどの王の時代の物なのか判断が難しい。夜が明けたら私はそこへ向かってみようと思う」

「おお、キュリオ様! 儂も御供致しますぞっ! 悠久の空白の時代が埋まるやも知れぬなど、久方ぶりですからなぁ!」

 とっくに人の寿命を数十年も上回っている<大魔導師>の彼は鼻息荒く身を乗り出した。腰に手を当てねばバランスをとっていられないほどの彼だったが、それさえも忘れたようにスッと立ち上がって全身で高揚感を現している。

「ああ、そうと決まったら今夜はこのあたりにして数時間後にまた会おう」

 美しい目元をに笑みを浮かべたキュリオはガーラントの肩へそっと手を置くと、彼の体からは疲労感がみるみる抜けていき、まるで目覚めのよい朝を迎えた体のようにとても身軽になっていく。
 この<大魔導師>が長寿の遥か上を行きながらも未だ現役なのは現王直々に力を注いでいるからかもしれない。
 ガーラントがキュリオに礼を言おうと扉へ向き直るも既に彼の姿はなく――……

――寝室へと向かうキュリオの姿を真白き月が煌々と照らしている。
 
(目が覚めるような眩さだな)

 眠気を感じているわけではないが、最上階まできた彼は歩みを止めぬまま柱の合間から覗く月を見上げて目を細める。
 視線を戻した先ではアオイの様子を見守っていた侍女二人が恭しく一礼している。キュリオは礼を言って下がるよう指示すると一際重厚な扉を静かに開け、月の光が差し込む室内をゆっくり歩いてベッドの傍までやってきた。さらにゆっくりした動作でベッドの淵へ腰かけると、わずかに軋んだそれによって目の前の幼子の瞳がゆっくり開いていく。
  
「…………」

  焦点の定まらぬ視線がやがてキュリオを捉えると、視線の絡んだふたりは恋人同士のように互いの熱を求め合う。

「おとう……ちゃま」

 恐らく二歳児くらいであると予想できるアオイは最近言葉が成立するような会話が増え、周りの大人たちに驚きと喜びを与えていた。

「……起こしてしまったようだね」

 幼子の眠りを妨げぬ様声を落としてそう言いながらも、眠ったままの愛娘の顔を見るだけでは飽き足らないキュリオは、こうして彼女が目を覚ましてくれるのを心の中で期待し強く望んでいる。
 キュリオの抱擁を促すように両手を伸ばしてきたアオイの真珠のような瞳は心なしか赤く見える。

「私が来るまで起きているつもりだった?」

「…………」

 直感的にそう思ったキュリオはアオイに尋ねるが、しがみついて離れようとしないアオイは言葉が理解できていないのか頷きもせず黙ったままだ。 
 まだまだ赤子のように丸みの残る彼女の体はキュリオの腕におさまるほどに小さく、どことなく甘いミルクの香りを纏ったアオイはキュリオの父性本能をくすぶるには十分過ぎる。

「アオイ……」

 キュリオは愛しさのあまり鼻先をアオイの髪の中へと埋めながら頬や瞼に幾度も口づけを落としていく。
 食べてしまいたいほどに愛しい娘へどう愛を伝えてよいかわからないときがあり、そんなときはこうやって口付けとなってキュリオの愛が降り注ぐ。
 それらの行為が愛に満ちていることを肌で感じているアオイはやがて微動だにしなくなり、安心した彼女が眠りに落ちたことが伺えた。

「安心しておやすみ……」

 もう少し戯れる時間が欲しかったという残念な気持ちと、自分を待っていたであろうことに心を震わせるキュリオ。
 しかし、それ以上にアオイが寝不足になってしまわないか心配なキュリオはアオイの背を支えながら彼女を横たえようと姿勢を倒すと、小さな手にしっかりと握られた自身の衣によってふたりは離れることが不可能になっていることに気づく。

 「っ!」

 すこし驚いたキュリオだったが、口角をあげて嬉しそうに微笑んだ彼はアオイの腕が下敷きにならぬよう、彼女の体を抱いて枕へと寄りかかるように背を預けた。
 赤子をあやすように背を撫で、髪が顔にかからぬよう指先で梳いてやる。花弁のような唇から唾液が流れ自身が濡れても愛しさしか感じない彼は、こうしたアオイの一挙一動にも心を躍らせていた。

 ――さらに数時間後、赤子の背を撫でる王の手は一度たりとも止むことなく朝を迎えた。
 その頃には全身が脱力し深い眠りに入っていたアオイをベッドへ横たえ、胸元を正したキュリオは彼女をひと撫でしてから湯殿へと向かった。

 一睡もしていないキュリオだったが、そんなことで疲労を感じたりするような存在ではないのが王だ。

(……ひとりで湯殿に入るのはどうも慣れない……)

 在位五百年を超えるキュリオだったが、ほんの二年ほどの出来事が当たり前となっており、いままでの自分がどうであったかを忘れるには十分すぎるほどアオイの存在は大きかった。
 いつもはアオイを抱いている両手で湯を掬い、きらきらと流れてゆく様をぼんやり眺めていると、ふとガラス戸の向こうに気配を感じて視線を投げる。

「…………」

 キュリオがその気配の正体を探る前に、小さな影がガラス戸に映った。

「……アオイ?」

 ガラス戸はまだひとりで開けられない彼女の手らしきものがそれに張り付いて。
 キュリオの声に反応した影が一歩下がって様子を見ているようにみえた。

 纏わりつく湯を掻き分けるようにガラス戸へ急ぐと、開けた扉の向こうには予想通りの人物が瞳を潤ませて佇んでいた。

「ああ……、目覚めてしまったんだね。おいで」

 濡れたまま膝をついたキュリオは、眉をさげてアオイを引き寄せた。
 迷うことなく首に纏わりついてきたアオイをどうするか悩んだあげく、あまり眠っていないであろう彼女のためにも共に湯殿へ浸かることを選択した。

 慣れた手つきでアオイの寝間着を脱がせ、弾けるような瑞々しい柔肌とぬくもりを胸の中で存分に感じながら湯の中に体を沈めていく。

「アオイ、お父様はこれからお仕事なんだ。いい子にして待っていてくれるかい?」

 頭上から降ってきた父親の美しい声に顔をあげたアオイはすぐに俯いて……。

「……ばいばい、……?」

 悲しみを押し殺したような声に胸が締め付けられる。

「離れていてもお前を想っているよ。……そうだアオイ、顔をあげてごらん?」

「……?」

 アオイが顔をあげると、空色の瞳がスッと細められ――
 互いの額を合わせたキュリオは何か呪文のような言葉を呟いて。

「……!」

 熱くなった額から全身へと広がっていく光は明らかにキュリオの力だった。
 
「ふふっ、これで私たちは離れていても互いを感じることができる。もっと早くにこうしていればよかったな」

   
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