できちゃった出産【ベリカフェ版】

冷静な人々 その3――妹

 産前産後の大変なとき、一番近くにいて私を支えてくれたのが妹でした。三つ年下の妹は私より結婚が早かったのですが、子どもはいません。

 里帰り出産ができなかったので、産後しばらくは実家から母に来てもらうことになっていたんですけどね。母は超インドア派で人混みが苦手で、おそらく方向音痴という……。「都心の駅で乗り換えとか無理。辿りつけない」と宣言する彼女をフォローしてくれたのも妹でした。

 そうそう、臨月のときにちょうど引っ越しも重なっていまして。引っ越しの準備を手伝ってくれたのも妹でした。もうね、本当に頭上がらないし、足向けて寝られないって話ですよ(笑)

 妹は私のことを「お姉ちゃん」とは呼びません。私がそう呼ばせなかったから。「お姉ちゃん」と呼ばれることを私自身が断固拒否したのです。母性ならぬ姉性というのがあるのかないのか知りませんが、完全なる不発です(汗)私ってばもう子どもの頃からこじらせちゃってる感じですな(苦笑)

 妹が生まれたとき、私は母親を取られた気がしました。そもそも「赤ちゃん可愛い」という本能(?)が働かない自分ですからねぇ、ただただ悲しかったことを覚えています。

それなのに、周りは口ぐちに言うわけです。赤ちゃん可愛いわね。妹ができてよかったわね。お姉ちゃんになったのね。嬉しいわね、幸せね――。あーあ、なんでこんなに思い出せてしまうんだろう。幼児期の記憶が鮮明に残っているって残酷ですね……。

 こうしてあらためて考えてみると、あの状況って妊娠が判明したときの状況と少し似ている気がします。周りからの祝福に素直に頷けない自分。心から喜べていない自分に対する複雑な思い。

 あの頃の私は心の中で必死に叫んでいました。「私は“お姉ちゃん”じゃなくて“ちさと”だよ!」と。お姉ちゃんになんかなりたくなかったのに。「いいわね、いいわね、妹ができて嬉しいわね」って何が嬉しいのかわからない。

 単純に淋しかったのもあるでしょう。乳児の世話は大変ですからね。母親がかかりっきりになるのは無理ありません。その淋しさや辛さを我慢するのも、上の子のつねというものです。ただ、私はどうしても「お姉ちゃん」と呼ばれることを受け入れることができませんでした。

 私は妹のことを「まどかちゃん」と呼び、妹は私を「ちさとちゃん」と呼びます。それは子どもの頃からです。そして、私には「お姉ちゃん」と呼ばれることを断固拒否するにあたり、子どもなりではありますが覚悟(苦笑)がありました。

それは「お姉ちゃんの義務を放棄するかわりに、特権を返上する」というものです。まああれですよ、本来であれば姉として少し多めにもらえるであろう菓子や小遣いを、すべて平等にするってことです、ハイ。

なんですかねぇ、そんなに姉ちゃんになるのが嫌だったんかい!と(苦笑)今でこそ自分で自分に突っ込みを入れてしまうような話ですが。当時の私にとっては深刻な問題で、ある意味“苦肉の策”だったんでしょうなぁ。

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