最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
歌姫イザベラ



イザベラは幼いころから歌を歌うのが好きな姫だった。

炭鉱夫たちの無事を祈って国民の前で歌うようになってから、いつの間にか歌が上手い姫だから歌姫、などと安易に呼ばれるようになり、町の孤児院で歌っているところにたまたま出鉢合わせた吟遊詩人がその歌声にいたく感動し、彼によって諳んじられた歌姫イザベラは、ちょっとした有名人となった。

そうして噂が噂を呼び、イザベラ姫の歌は天使の歌、聴けば幸せになれる、などと仰々しいうたい文句で近隣諸国に知れ渡って早七年。

自分の歌でみんなが元気になってくれるなら嬉しい。
歌を聴いて笑顔になってくれるなら嬉しい。みんなと一緒に歌うのはとても楽しい。

そんな幼いころから変わらない単純で純粋な気持ちで、はにかみながらもイザベラは歌姫として皆に応えてきた。

とはいえ、本当に自分の歌声がそんなにすばらしいのかいつまで経っても自信のないままだった。
イザベラにとって一番に美しい歌声は、炭鉱に潜る夫たちの無事を祈って歌う、彼らの妻達のそれだったから。

そんなイザベラに、本人にも周囲にも予想だにしなかった出来事が起きた。

歌姫イザベラが、歌を歌えなくなったのである。

二年前、山脈ひとつ隔てた隣国、アステート公国の騎士棟に国家間交流との名目で招待されたときのこと。

歓迎はされていないのだな、とがっかりしたのを覚えている。
騎士団の責任者だという若く美しい男には、イザベラはにこりともしてもらえなかった。
とはいえ、親睦を深めるための王族としての仕事である。不安を抱えながらも、そこでいつものように天使の歌を披露したときだった。

どこからともなく男の声で下手くそと罵倒されたことが、歌姫だ天使の声だなんだと持て囃されてきたイザベラの心を深く抉った。
ついでににこりともしなかった美しい男の顔も浮かんだ。
その場はなんとか歌いきったが、初めて浴びせられた悪意の言葉にイザベラのささやかなプライドはぽきりと折れた。
もともと、歌は好きだが自信が皆無だったイザベラにとって、現実を突きつけられた瞬間でもあった。

(本当は歌も大してうまくないのに、みんなは私が王女だからと褒めそやしていただけなんだわ)

陽気すぎる炭鉱夫たちに囲まれて育ったイザベラは、何故か少し卑屈な女の子に育った。

以来、人前で歌おうとするも、その度にあの罵倒が耳に蘇り、歌姫イザベラは人前で歌えなくなった。

歌おうと思っても、ぐっと鉛のように得体の知れない何かが喉を詰まらせる。
そしてやはりついでのように、あのにこりとしなかった男の顔が蘇る。
どうあっても、人前で伸びやかに歌うことはできなくなってしまった。

そしてそれに拍車を掛けたのが、小国のくせに調子に乗って隣の大国アステート公国に喧嘩を売った父王である。
ちょっと前に歌姫イザベラを慰問へと赴かせ、国家親交を深めたことなど宇宙の彼方、軍事の天才であるフェルナード王子が守るその国へと裏切り行為を働き、あっさりと身柄拘束となってしまった父が帰ってくるまで一月。

歌姫と名高いイザベラを、フェルナード王子の妻として差し出すのが父王を解放する条件であった。




「お初にお目にかかります、エルゴルのイザベラと申します。」

目の前に座る美しい青年の前で、イザベラはゆっくりと頭を垂れた。

この日のために誂えられたドレスは美しかったが、イザベラの心は重い。

全行程一ヶ月と少し。
山脈を越えてやってきた隣国アステート公国の空気は冷たかった。

あのトラウマを生んだ国。騎士棟どころか城でも歓迎されていないのかと、あの日の思い出が蘇り、憂鬱になっていく。
ついでに言えば、出立の際の父王の取り乱しぶりも尾を引いていた。
小さいながらも一国の主が涙と鼻水を流して別れを惜しむのである。冷たく差し出されるよりはよほどいいが、あの調子だと数日執務や事業が滞るかもしれない。苦労するのは周りである。
そもそも泣いて後悔するくらいなら、余計な欲をかくなといってやりたい。

「山脈を越えるのは大変だったでしょう。今日はゆっくりとお休みになってください。アステートは貴女を歓迎いたします」

イザベラが頭の中で父王をサンドバックにしていると、美しい男の後ろに立つ歳若い従者がそう口を開いた。

イザベラが嫁いだ男――フェルナードは、一言も発せずただイザベラを見つめている。

夫となる人は、それはそれは美しい人だった。

歌を嗜んできたイザベラは、それこそ見目麗しい吟遊詩人や踊り子とも何度か会うこともあったが、彼ほど美しい人は見たことがない。

陽光を反射する金髪は少しうねり、その白磁の肌を柔らかく縁取っている。瞳は美しい緑だ。春に芽吹く新緑の色。アーモンド型の瞳がともすれば愛らしい印象を与えそうなものだが、きゅっと閉じられた唇は薄く、それが逆に顔全体を引き締めていてる。鼻は高すぎず低すぎず、少しだけそばかすが散ったイザベラの鼻とは異なり、しみひとつない。

容姿はとても優雅なのに、着ている服は詰襟の軍服だ。黒に近い深緑に、金色の刺繍でアステート公国に伝わる蔦の紋様がなされている。ともすれば禁欲的なそれが、フェルナードにはとても似合っていた。

(……美しすぎて、少々どころかなにを考えているのかまったくわからないわ)

表情から何を考えているか読み取れない人が一番こわい、と、イザベラは未来の夫を見ながらぼんやりと考えた。

それに、彼にはとても見覚えがある。
見覚えどころか記憶に焼きついている。

一度見たら忘れられないほどの美しさなのだ。それも当然である。


「……フェルナード王子、この度は我が父の帰国を許していただき、ありがとうございました」

引き換えにイザベラがこの国へと嫁いだわけだが、非があるのはこちらである。

しかも、父王が国に帰ったあとも、イザベラのアステート出立まで猶予をもらえた。お陰で嫁ぐ準備は父王の采配で滞りなく行えたし、涙と鼻水をドレスにつけられたとはいえ、父王を含む家族との別れもきちんと済ますことができた。
長きに渡って親交があったとはいえ、裏切りを働いたアルゴルに対して大変寛大な処置といえる。
深く頭を下げて謝辞を示したイザベラに、フェルナードは特になにを言うでもなく頷いただけだった。

(話してはくださらない……)

あの美しい顔《かんばせ》からどのような声が出るのかと期待したが、結果はこれである。
いくらなんでも、一応は婚姻が決められた王族同士の顔合わせだ。いくら小国の姫相手とはいえ、己に嫁いできた相手に一言もないのは失礼に当たるだろう。

(それとも、裏切った国の女とは話す価値もないということかしら)

もしそう思われていたら、この結婚生活は悲劇的だな、とぼんやり考えていると、フェルナードではなく従者が口を開いた。

彼は男性にしては少し高く、神経質そうな声をしている。

「なにか必要なものがあればすぐに揃えさせましょう。」

語らない主からイザベラの意識を逸らすような言葉だ。
それでもイザベラは、その言葉に食いつきそうになった。とはいえ、この冷たい空気の中で己を要望を口にする勇気はない。

欲しいものはあるが、それはあとで、もう少し彼らと仲良くなれてからにしようと決めた。

(果たして仲良くできる日がくるか、わからないけれど)

そのための努力は惜しむまい。

「充分でございます。ご配慮痛み入ります」

もう一度頭を下げて、イザベラは促されるままフェルナードの前を辞した。





護衛の騎士とお付の侍女に連れられて回廊を歩いていく。

高いアーチ型の天井にはこの国の歴史が宗教画の様相で描かれて、美しい格子の窓からは柔らかな光が差し込んでいる。そこから、青々と茂った美しい青い森と城下町が見えた。

イザベラが嫁いだアステート公国は、高台に臨む美しい白亜の城と城下町の赤い屋根のコントラストが美しい国だ。周囲は豊かな自然に囲まれ、おおよそ軍事に長けた国とは思えないほど穏やかである。

一方、イザベラの母国アルゴルは、国土は小さいながらも銅と青銅がとれる国で、どちらかというと城も民衆の家屋も、石壁造りの実用性重視のものが多い。
王族と銅鉱山の鉱夫たちは普段から密接に話し合いを行い、年間の発掘量を決めたり産業発展の指針をまとめたりする。基本的に、他の国より王族と民衆の距離が近い。

そしてたまたま新しく発掘した鉱山で、鉄が採れた。

有頂天になったのはイザベラの父王である。この鉄を材料に、あろうことか長年国交のあった大国アステート公国ではなく、別の国へと商売を持ちかけた。

国をもっと発展させようという父王の考えはわからなくもないが、いかんせん敵に回した相手が悪かった。
父王はアステート公国へと連行され、国の鉱山でとれる銅の半分を独占する権利をアステート公国に譲渡することになり、そして自身の解放条件として、イザベラとの政略結婚を提示されたのである。

政治に疎いイザベラでも、この待遇が破格のものであることがわかる。相手は長年その力を誇示してきた軍事国家だ。
ちょっと鉄がとれたからと言っていい気になって喧嘩を売ってくるような小国など、侵略して自国の領地にしてしまえばいい。父王以前の時代から成されてきた交易に免じて、とのことらしいが、どう考えても処罰が甘い。

先ほどのフェルナードの態度も、正直納得できるものだ。
なにが悲しくて、自国を裏切るような真似をした男の娘を娶らねばならないのか。

(私のような、歌うしか能のない姫より、もっと有益な縁を結べる姫はたくさんいるだろうに)

アステートほどの大国なら、国内の有力な貴族もそれこそ多くあるだろうし、フェルナードほどの王子なら、それこそ引く手あまてだろう。

(歌うしか能のない、なんて笑えるわねイザベラ。今はもう歌えもしないのに、なんて厚かましいの)

とはいえ、まったく歌えないわけではない。

先ほどフェルナードの従者の言葉にも、可能ならピアノを所望したかった。
今日からここがイザベラが過ごす部屋となる、と案内された部屋にはピアノは置かれていなかったから。

一人きりなら歌えるが、聴衆がいると歌えない。
歌は好きだが、人に聴かせるのは怖い。

とんだ歌姫である。



(でも仕方がない。歌えないのは私の弱さ。私が弱い限り、歌えないのは当たり前だわ)

歌えなくなって二年。さすがに今更めそめそするようなことはない。
強くなりたいとは思うが、そもそも強ければたった一度の中傷で歌えなくなるはずがない。

歌えないなら仕方ない。強くなりたいからといって、すぐに強くなれるわけではない。
イザベラは変なところで切り替えの早い女性に育ったが、しかしどれだけ切り替えても、人々の前で歌を歌えるようにはならなかった。

この二年間は自国の混乱もあり、なんとか歌わずに場を凌いできたが、これからはそうもいかないだろう。
舞踏会や貴族たちが集まる席で、その歌を求められるのは当然だ。

そのとき歌えなかったら、きっとイザベラは笑い者になる。そして、歌えない歌姫を差し出したとして、今度こそイザベラの国は制裁を受けるかもしれない。

今、イザベラの前と後ろを歩いている騎士と侍女も、言ってしまえば監視役である。
イザベラは、実害はなかったものの自分たちに害を成そうとした国の姫。警戒なく受け入れるわけもない。

――恐らく、イザベラがこの国に馴染むには相当な時間と労力がかかる。

だからこそ、人の目が怖くて歌えません、などと言っていられないのである。





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