最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
茶会とチョーク






「え、舞踏会でのイザベラ姫の歌披露ですか?」

フェルナードの従者サムエルは、何を今更、というような顔を浮かべた。

その顔が少しならず不機嫌そうなのは、己の主君が誰にも黙って仕事から抜け出したからだろう。

「当然催されますよ。そのための歌姫でしょう。なんのために裏切り者の娘を娶ったんです」

フェルナードの妻に容姿の冴えないイザベラが選ばれたのは、その歌声あってこそだ。

二年前、アステートに慰問にきた際に披露した歌声はそれはもう見事なものだったという。その歌声を生で聴いた兵士のなかには、あの歌で傷が癒えた、寿命が延びたなどと言うものまでいる。

正直、アルゴルの裏切りは許しがたいが、引き換えにあの歌姫が崇拝するフェルナード王子に嫁いでくるのならば、とそわそわわくわくした兵士達や貴族達ばかりなのである。
それなのに舞踏会で歌わないとなれば、なんのために山脈を越えてきたのか、と問いたい。

サムエルはイザベラの歌を聴いたことがない。
もともと、そんなものに感動するような豊かな感覚も持ち合わせていないし、皆が皆大袈裟なまでにイザベラの歌声を褒めるので、過大評価しすぎだとどこか冷めた目でイザベラや兵士達を見てしまうのだった。

そんなサムエルに、フェルナードは騎乗で考え込むように顎を引いた。
先ほどのイザベラの様子を思い出す。
こちらに気付いた途端、真っ青になって逃げたイザベラを。

「え、中止にしろ?本気で言ってるんですか?二年前の慰問に参加してた貴族たちからも並々ならぬ期待を集めてるんですよ」

フェルナードの意思を違うことなく理解したサムエルが、今度こそ呆れかえった声を上げる。

「貴族のご令嬢にしたってそうです。この国で一番美しく、負け知らずの戦神である貴方の妻が、未来の王妃が、どんなものか知りたいと、まるで獲物を狙う獣のような目でうろついてるんですよ。舞踏会の歌声披露を中止になんてしたら、イザベラ姫はあっという間に噂の的になって、貴族のご令嬢方に付け入る隙を与えることになります」

そうなれば、最近は静かだったフェルナードの周囲も荒れるに違いない。
なにせフェルナードは美しい。美しい上に継承権を持つ王子であり、この国を守護する軍師でもある。
彼の正妻にはなれなくとも、一夜限りの情けがほしいと、美しいドレスを纏った獣は虎視眈々とチャンスを狙っているのだ。

「あんな田舎出身のぼんやりしたお姫様に、ギラギラしたわが国のご令嬢方の相手が務まるとお思いですか」

じとりとサムエルに睨みつけられたが、フェルナードはその件についての明言は避けた。
あの晩餐で対面したイザベラが、果たしてぼんやりしただけのお姫様であるとは到底思えなかったからだ。

「……あなたがどうしてもと言うのなら、なんとか掛け合ってはみますけど」

黙り込んだフェルナードに思うところがあったのか、サムエルが勝手にそう解釈して話を進める。

イザベラの歌披露の中止――納得させられるかどうかは別として、理由ならいくらでもでっちあげられる。

まだ国にきて日が浅いだとか、皆に聴かせたいがために練習し過ぎて喉を痛めてしまっただとか、フェルナード王子が彼女の歌声をその他大勢に聞かすのを許可しなかったとか。

渋々といった態だが、結局は主の意向に従うサムエルに、フェルナードは微笑んだ。

「そんな顔をしたって無駄です。その顔はどうぞ、未来の貴方の妻へ見せてください」

未来の妻――それをイザベラとは明言せず、サムエルはもうひとつ釘を刺した。

「それと、いつまでも隠し通していないでさっさとお話してください。それこそなんのために奇跡の歌姫を娶ったんです」

あの晩餐以降、イザベラを避けているフェルナードには痛い言葉だった。








「なんて美しいドレスかしら、イザベラ様。それはどちらの意匠ですこと?」

イザベラのドレスよりずっと美しくてフリルたっぷりのドレスを着た少女が言う。
意匠というかなんというか、アルゴル城のお針子ミシェルが母のドレスに手を加えて花嫁道具として持たせてくれたものである。

「まあ、イザベラ様の肌は白くて眩しいわね」

イザベラの肌よりずっと白く透けるような肌をした少女が笑う。
少し白粉を塗りすぎではないだろうが。逆に心配になる。

「イザベラ様の国には鉱山があるのでしょう。そちらでは粗野で野蛮な男たちが働いていると聞きました」

間違ってはいない。流血沙汰の喧嘩なんて日常茶飯事だった。

「わたくしも聞いたことありますわ。なんでも裸で仕事をしていらっしゃるとか」

どちらで聞かれたか存じ上げないが、炭鉱夫は裸で仕事などしない。
精々、土で汚れた服を脱いで体を拭くときくらいだ。いやまあ、飲めや食えやの大騒ぎのとき、調子に乗って裸で踊る人はいた。

「まあこわい」
「なんて恐ろしいの」

確かに裸で炭鉱に潜っていく男たちを想像すると怖い。

「そんな国からいらしたなんて……、イザベラ様はわたくし達とは住む世界が違いますわね」

ついでに貴女方の大好きなフェルナード様とも住む世界が違うとおっしゃりたい、と。

扇子の向こうで笑みを浮かべているくせに、目だけは憐れみを浮かべているアステート公国のご令嬢たちを眺めながら、イザベラは小さく溜め息を吐いた。

あからさまに感情を見せてはいけないとわかっていても、自然と肩が下がってしまう。

(残念だわ。同年代の娘たちとお話できると楽しみにしていたのに)

アステート公国の有力貴族の令嬢から、フェルナード王子の婚約者を歓迎したいと茶会の招待状をいただいたのだが、蓋を開けてみれば、イザベラの品評会だっというわけである。しかも結構あからさまな。

皆が皆、異様なほど美しく着飾ってきたな、と思ったら、この機会にフェルナードに見初めてもらい、あわよくば田舎から出てきた小娘を正妃の座から引きずり落とそうということらしい。
城に上がる機会が滅多にないらしい年頃の娘達は、イザベラを理由にまんまと城に上がることに成功したというわけだ。もしかしたら彼女達の父親による画策もあるかもしれない。

(そうね、これから友を持てること自体、稀なことになるわ)

アルゴルが懐かしい。
酔っ払いが裸で踊っていたっていいではないか。普段仏頂面の鉱夫達が酔っ払って気持ちいいまでに騒ぐ様子はなかなかの見物なのである。

皆、この未熟なイザベラの気のいい友人達でいてくれた。


「……確かに、この洗練されたアステート公国と、我がアルゴルでは世界が違うかもしれません。ですが、アルゴルで採れた銅がこのアステートの武器の源となります。銅がどのように採れるかご存知でしょうか。他国の鉱山では露天掘りという浅い場所での発掘が主流ですが、我がアルゴルでは長い歴史の中での著しい自然破壊に学び、今は地中深く坑道を掘る方法をとっております。小さな明かりと仲間達を頼りに、暗い穴をひたすら突き進んでゆくのです。酸欠や崩落も当然ありえます。生き埋めになった鉱夫たちも少なくありません。アステートの勇敢なる騎士達が命がけで国と民を守るように、我が鉱夫たちも命を賭けて炭鉱に潜ります。……確かに、我が国は優美とは程遠い。ですがアルゴルは、わたくしの誇りです。そしてこれからも、このアステートの騎士達を支えていけるよう、努めてまいります」

ここまで言えばまあ、アルゴルの姫としての体裁も保てただろう。
少し模範的過ぎる回答のような気もするが、母国を馬鹿にされたままで言い返しもせず悔し泣きでハンカチを噛むのもいやだ。

怒涛の返答に戸惑ったのか、威勢のよかった令嬢たちが静かになる。

このまま終わってくれないだろうか、とイザベラが紅茶へと手を伸ばしたとき、ぱしんち扇子を閉じる音がした。

顔を上げれば、一際美しい少女がイザベラを睨みつけていた。
アステート公国で宰相を務める家のステラ令嬢である。


「……イザベラ姫が今ここにいらっしゃるのは、その誇りであるアルゴルが我がアステートを裏切ったからではありませんの」

まったくもってその通りだな、と冷静に頷きそうになってしまった。

ステラ嬢の瞳には、並々ならぬ敵意が漲っている。
言われずとも、以前からフェルナードを好ましく思っていただろうことがよくわかる。

(母国を裏切った国の姫に横から好いた王子を掻っ攫われるなど、確かに許せることではないだろうな)

だがイザベラも、何も好き好んでこの悪夢の国に来たわけじゃない。

「だからこそ、これから尚一層この国に仕えることを誓うために山脈を越えてきたのです」

表情を変えずにそう言えば、ステラ嬢はぐっと唇を噛んだ。

自国の罪を償うための政略結婚だ。裏切ったアルゴルの姫として、アステートに身を捧げるのは当然だろう。
正確には、アルゴルの姫として、というよりイザベラの歌声に価値を見出されたからだが。

(歌えないのだけれど――)

なんとあの日の夜、フェルナード王子付の従者であるサムエルから、スケジュールの調整から舞踏会での歌披露は中止になったと教えられた。
なので練習は行わなくていいというサムエルの言葉を聞きながら、イザベラは足元にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥った。

やはりあの時、聴かれていたのだ。

(中止にせざるをえないほど、私の歌はひどいのだわ――)

絶望であった。

練習する必要はないと言われたとはいえ、今も定期的にあの丘で歌の練習をしている。
舞踏会での歌披露が中止となっただけで、これから歌わなくてはいけない機会はまだまだ増えるだろう。そのときのために、効果があるかどうかは別として、練習は続けておかなければ。

(あの日と同じように、気に入ってはもらえなかったのね)

考えて、随分と悲しくなってしまった。
歌で誰かを幸せにできると信じていたあの頃、イザベラにとって人前で歌うことはイザベラにとっての幸福だった。
自分の歌で大切な誰かが笑顔になってくれる。一緒に歌ってくれる。
嬉しくて楽しくて、とても素敵なものだった。

(でもそれが、一国の姫という立場の上に成り立った砂上の城だったなんて)

自業自得だ。世間を知っているようで知らなかった。
皆がみな、イザベラの立場に遠慮して、褒めてくれていただけ。

(私の歌に、人を笑顔にする力はない……)

その事実がただただ悲しかった。

フェルナード王子とも、あれ以来会っていない。
遠くで目が合ったとしても、会釈はされるがすぐに視線を逸らされてしまう。

無視されていないだけましということなのか。自分から話しかける勇気もない。

(いよいよ歓迎されていない。……更にはその姫が人前ですら歌えないなんてことがわかった日には)

想像してぞっとした。
なんとしてでも、人前で歌えないという事実は隠さなくてはならない。
下手くそでもいい。せめて、思い込み療法で成果がでるまでは――。

(それが貴女にできるの、イザベラ。あの日だって、フェルナード王子に聴かれていたと思うだけで足が竦んでしまったのに)

今までずっと逃げてきたつけが、国まで巻き込んでまわってきたような気分だった。






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