最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
舞踏会






結婚式が延期になった。

イザベラのお披露目として舞踏会が行われ、その後招待客が滞在している間に式を挙げることになっていたが、舞踏会は予定通り行われ、式だけが延期になった形だ。

侍女から淡々とそれを聞いた夜、イザベラは眠れなかった。

(舞踏会が中止できないのは納得だわ。ここにきてから、城の者がその準備のために奔走しているのを見てきたもの。これだけ労力と資金をつぎ込んだものを、式が取りやめになったからと簡単には中止にはできないわね)

イザベラの中では既に、この結婚はなかったことにされると決まっていた。

恐らく、延期という形で先延ばしにし、頃合を見計らってこの婚姻自体を取りやめることになるだろう。
正直、どのように事を運ぶのかは定かではないが、できればアルゴルにとって害のない方法をとってほしい。
政略結婚とはいえ、圧倒的に国力に差がある。もともと、アルゴルに都合の良すぎる話であった。
アステート公国にとって、そしてフェルナードにとっても、この結婚がなくなっても大した不利益にはならない。


――あの日、あの回廊で。



(……あの日のことばかり思い出して、溜め息ばかり。なんて間抜けなの、イザベラ)

あれ以来、やはりフェルナードとは会っていない。

きっと、今夜は会えるだろう。
舞踏会の招待客も、数日前からぞくぞくとアステート公国へと集まってきている。
そのなかにはアルゴルからの使者の名もあった。父王と家族は復興のため今は国を離れられないが、信を置く者を寄越してくれたらしい。それこそイザベラが家族と仰ぐ者だ。会えるのはとても嬉しい。

(嬉しいけれど……)

きっと今夜の舞踏会が終われば、イザベラはその使者と共に国へと帰されるのだろう。

(そうなれば、たまに遠くで見かけるあの美しい金髪を、もう見れなくなるのだな)

そう思うだけで、イザベラの胸はしくしくと泣いた。






「ご準備が整いました。イザベラ様」

侍女に連れられ舞踏会の会場へと足を運ぶと、そこにはイザベラの知らぬ世界が広がっていた。

もとより美しい城ではあったが、今日は特に美しい。
城中に花が飾られ、暗いところなどひとつもないほど惜しげもなく灯りが点けられている。
舞踏会場の天井は恐らく城で一番高いだろう。広い空間を更に広々と感じさせ、そこから下がるシャンデリアの絢爛さには息を飲む。やはりこの会場にも生花が飾られ、美しいクロスのかかったテーブルには贅を尽くしたご馳走が所狭しとならんでいた。

そしてその舞踏会場を埋め尽くす、人、人、人。

さまざまな香水が入り混じっていて、思わずくしゃみが出た。侍女に睨まれる。

その視線から逃れるように首を回すと、扉から一番遠いところに玉座が見えた。
アステート国王夫妻がゆったりと腰掛け、次から次へと訪れる招待客の相手をしている。
そこから離れたテラスの入り口には、茶会にきていた令嬢たちもいた。皆こちらに気付いたようだが、ステラ嬢がつんとそっぽを向くと皆それに習えで無視される。

まあ、こんな場所でひと悶着起こすのも大変なので、その対応はありがたい。


「イザベラ様、フェルナード王子と国王陛下へのご挨拶へ」

侍女が去り際にそう言ったかと思えば、ざわりと会場が波打った。

人々の目がイザベラに集まっている。
いや、イザベラの後ろを見ている。
そっと振り向くと、そこには目も眩むような美貌の男が立っていた。

「……フェルナード王子」

例の一角から黄色い悲鳴が飛ぶ。いや、会場にいる女性の大半がそんな悲鳴を上げた気がした。

いつもの軍服と同じような服ではあるが、今日のそれは格段に質が違う。
純白の生地に同じく純白の糸で繊細な紋様が施され、指し色として金色の縁取りが成されている。臙脂の飾緒が白い服に映え、全体を引き締めていた。上質なリボンで首から提げられている十字型の騎士の勲章は細工がすばらしく、きらきらと輝いている。腰には儀礼用の細く長いサーベルをさし、その装飾も息を呑むほど美しかった。

こんな美しい細工を施せるなんて、なんてすばらしい職人かしら、とイザベラは感嘆した。素材を加工する難しさは良く知っている。アルゴルでもそういった職人を育てようと、数年前に小さな学校を開いた。

(この職人をアルゴルに呼んで、先生になってもらえないかしら)

などど考えているのは、完全にフェルナードに見惚れていたからだ。
会場にいるその他大勢と同じように口を開けて見惚れるなどなんだか悔しくて、フェルナードから目を逸らすように無理矢理違うことを考えた。

そんなイザベラに、無言で手が差し出される。
汚れひとつ見当たらない白い手袋にそっと手を乗せ、イザベラは覚悟を決めた。

(この舞踏会で笑いものになってもいいわ。この夜がもしかしたら、この人と過ごせる最後の日になるかもしれない)

最後に見たフェルナードが、神がかりなまでに美しいのだから悔いはあるまい。
せめて美しすぎるフェルナードに負けないように、背筋を伸ばす。いや、完全に素材でも衣装でも負けているのだが、気持ちの問題である。

国王陛下と女王陛下への挨拶では、イザベラと両陛下がいくつか言葉を交わして終了した。
そのなかには、歌声が聴けなくて残念だ、との言葉もあり、恐縮至極である。

国王夫妻は表面上は穏やかな人物だが、そんな彼らを裏切った国の代表として緊張しないわけがない。実際、イザベラが国王陛下と言葉を交わしている間も、裏切り者だとか、恥知らずだとか、同じ同盟国として恥ずかしいだとか聞こえてきた。
大変申し訳ない。叶うならここで父王の所業を詫び、大声で謝罪したいくらいである。
できないが。できるわけもないが。

このときもフェルナードは一言も話さず、完璧な礼を持って御前を辞しただけだった。
とはいえ、国王達も側近達も、それが普通とでも言わんばかりの態度である。

フェルナードが言葉を交わしたくないほどイザベラを嫌っているのは周知の事実なのだろうか。さすがに堪えた。

そんなふうに一人勝手に追い詰められているイザベラは、フェルナードの手によって比較的静かな一角のソファへと誘導された。
イザベラがソファに座ったのを見計らうようにして、サムエルが現れる。



「イザベラ姫。お耳に入れたいことが」

サムエルの顔は大層真剣である。
戸惑い、フェルナードを見ると、彼もまた表情が硬かった。何事か。

「アルゴルから来るはずだった使者殿がまだ到着しておりません。馬を飛ばしたところ、山脈の麓で山賊に襲われたようです。使者殿の姿はなく、乗ってきたであろう馬車のみが残されていました」

抑えた声でそんなことを言われ、イザベラは思わず立ち上がった。

「ここ最近、山賊の出没が頻繁にあり、騎士団の一部を警邏に当たらせていたのですが、このような事態になり……」

謝罪を受けている途中で、イザベラははっとなる。
使者が誰かを思い出した。

「あの、いえ、お気になさらず。恐らくアルゴルの使者は無事です」
「は?」

イザベラの言葉に、サムエルが礼儀も無視しておかしな声を上げる。
フェルナードも片眉を上げ、不可解なものでも見るかのようにイザベラを見た。
その視線に怯みつつも、イザベラは続ける。

「……推測ですが、恐らく山賊に襲われ、撃退し返したか姿を隠したかしているのだと思います。あの、くる予定だった使者はアルゴル城の執事長なのですが、一方で城の警備も務めておりまして、なんといいますか、えー、ものすごく、強いのです」

自分でもおかしなことを言っているな、とは思うので、フェルナードたちにとっては尚のことだろう。

恐らく実際に会ってみないと、フェルナード達も納得しない。
筋骨隆々の執事らしくない執事長を思い出し、イザベラは続ける。

「恐らく数日中にはこちらに到着すると思います。今すぐの捜索は不要です。山で遭難しても、きちんと対処できますので。ですがもし五日経っても音沙汰がない場合は、どうか捜索隊を出してもらえないでしょうか」

イザベラの言葉に、サムエルははあ、と気の抜けた返事しか返さなかった。

「もし万が一があっても、わたくしが責任を取ります故」

言ってから、素直に捜索隊を出してもらってもよかったかもしれないと思った。
いくらイザベラが信頼しているとはいえ、あの使者を実際に知らない人間にはにわかには信じられないことだろうからだ。
とはいえ、出した捜索隊が無駄になるのも申し訳ない。
イザベラの存外はっきりした言葉に、フェルナードとサムエルは視線を合わて小さく頷きあった。

「わかりました。姫はこちらで少々休まれていてください」

サムエルに促されるままイザベラがソファに座りなおすと、フェルナードはまたも無言のままサムエルを伴いその場を立ち去ってしまった。呼び止める隙もない。

背が高いので、人並みに紛れてもどこにいるかすぐにわかる。
お陰で、イザベラから離れた途端、美しいご婦人方に囲まれたフェルナードもばっちり目撃してしまった。

(……笑っているわ――)

初めて見た笑顔だった。
唇の端を少し持ち上げ、目元が少し緩む。作り笑いだとわかるが、それだけで印象が変わるのだから、美人とは得である。周囲のご婦人たちの目が完全に蕩けている。

(無様ね、イザベラ)

夫になるはずだった男に笑ってもらえない。声もかけてもらえない。相手にもしてもらえない。

最低限の接触があるだけ、まだましなのだろう。
それでも、自分には作り笑いすら向けてもらえないのだと思うと――、やはりしくしくとイザベラの胸は泣いた。

この舞踏会の主役であるイザベラに声を掛けてくる者はいない。
皆がみな、これが政略的な婚姻だと理解している。そして、圧倒的にイザベラの地位が下だということも。

いわば生贄だ。国の失態のために捧げられた物珍しい宝石のようなもの。宝石など、おこがましいにもほどがあるが。

だからそんな者に誰も声をかけてこようとはしない。
どうせ声をかけるなら、フェルナードにかけたほうが得策だからだ。

ソファに腰掛けて、ゆっくりと息を吐く。

そうしないと、今にも両目から雨が降りそうで、イザベラは何度も何度も深呼吸した。

ここに使者の姿があれば、きっとイザベラは元気を取り戻せただろう。
歌姫として様々な場所へ赴くとき、必ず彼がつてきてくれた。護衛は彼一人で事足りるほど強かった。
強くやさしく、穏やかで、イザベラにとって第二の父のような存在なのである。

そんな彼も今はいない。

心配はしていないが、今この場で会えないことがひどくイザベラを心細くした。
ソファに座り、談笑や外交に勤しむ人々をぼんやりと眺めていたイザベラの耳に、ふと馴染み深い曲が届いた。

(……この曲)

がらりと変わった曲調に招待客は驚いているようだが、ただ一人国王だけは、何故か声を上げて笑っている。

(――アルゴルの歌だ)

炭鉱へと赴く夫の無事を祈る、妻達の歌。
イザベラが好きな曲のひとつだ。一番最初に覚えたと言ってもいい。鉱夫達の妻と一緒に歌いながら覚えた、懐かしい故郷の曲。

(……フェルナード王子)

こんなことをしてくれるのも、できるのも、恐らくこの場では一人しかいない。

言葉すら交わしてくれないくせに。
舞踏会の客達より、イザベラを優先してくれた。

(ずるい)

こんな真似をされたら、やはり胸が痛む。
しくしくと泣くような痛みではない。甘く痺れるような、胸を押さえずにはいられない痛みだった。






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