猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
*猫なで声には気をつけて
グレースとラルドの縁談は、ほかに例をみない速度で進められた。
王族や大貴族ともなれば、通常は数ヶ月、場合によっては年単位の婚約期間を経て、ようやく結婚の運びとなる。それを、たったひと月の間に婚約式や各方面への準備などを済ませなければいけない。
この前代未聞の力業を訝しんだ周囲の人々から、「実はふたりは以前から恋仲で、グレースが懐妊しているからなのでは?」との憶測が出たくらいだった。

なにがラルドをそんなに急き立てているのかはわからなかったが、結果としてグレースにはいい方向に働く。半ば売り言葉に買い言葉で承諾してしまった彼との契約について、思い悩み落ち込んでいる暇もないほど忙殺されたからだ。


そんな中で、ぽっかりと予定が空いた晩。グレースの姿は、代々王家が使用する大神殿にあった。正式には約ひと月かかる月の禊ぎを極めて簡素化し、太陽の間の天井に造られた天窓の中を、東から西へと月が通り過ぎる間だけ祈りを捧げるという儀式を行うためである。

グレース以外誰もいないの広い空間には、周囲が辛うじて確認できる程度の僅かな灯りしかない。その中心に跪き大陸創世の神話が描かれた天井を仰ぐ。月の通り道に丸くくり抜かれた天窓の覆いは外され、星の瞬く夜空が覗く。雲ひとつない空だった。

石造りの床から伝わる冷気と天窓から下りてくる外気で、身体が冷え始める。もし本格的な冬が訪れてから正式な月の禊ぎを行っていたらと思うと、寒さ以上の身震いがした。

神話では、太陽神の妃は満月に象徴される正妃を筆頭に、およそひと月の間に大きさを変える月の数だけいると伝えられている。その妃たちから生まれた子どもが、夜空に散らばる星々。

遙か昔の権力者たちは太陽神を倣い多数の嫁を娶ることも珍しくはなかったが、妻たちによる血生臭い権力争いや、跡目を巡る抗争などが跡を絶たなかったという。また、たくさんの女性を囲うには多額の費用が伴う。そんな世俗的な諸々の事情もあり、現在この国では大人数の妻を持つことは稀になっていた。

それでも王家は血を絶やさぬため、正妃のほかに数人の側室を置くことが暗黙の了解となっている。グレースの母も、父王が正妃以外にもった側室の一人だった。もっとも、キャロルがその役に就いたときにはすでに正妃は薨去しており、その座は空位のままだったのだが、父王は新たな妃を据えずにこの世を去ってしまう。

だからグレースの母は、いままでもこれから先も一生、亡き王の側室のままなのだ。
< 21 / 126 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop