【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

―遠い記憶に追う、愛しき姿―…

 ――日が昇り始めた頃、少女は可愛らしい衣に着替えて中庭へと急いだ。
 穏やかな風が頬を撫で、優しい花の香りを身に纏った彼女は噴水のあたりまで来ると誰かを探すような素振りを見せる。

 そんな彼女を私はいち早く見つけ、声をかけようと口を開いた。

『――――、……』

 しかし……その声は届かず、少女は息を弾ませて別の男のもとへと駆けていく。

『おはよう、――……』

 少女に名を呼ばれた彼は漆黒の布地に紫水晶(アメジスト)色の美しい装飾を施した上質な布で体を包んでいる。サラリと流れた髪は衣と一体化しそうなほどに艶やかで長く、表情の無いその男にはあまりに相応しい風貌だと、少女を含まない誰もが常々思っている。

『――、よく眠れたか?』

 振り返った男のそれまで無表情だった顔がわずかにほころび、口元には穏やかな笑みさえ浮かんでいる。

『うんっ!』

 やがて風にのって聞こえる彼女らの楽しげな会話。

『…………っ』

 なんでもない日常の風景だが、微笑みあうふたりを目にした私は……心穏やかではいられず、清らかな祈りも捧げられぬほどに激しい嫉妬の念にかられている。
 ――そんな刹那、会話が途切れた。
 
 うまく着こなせたと思った自分の姿を見て気落ちしている少女がいる。

『もうすこし、大人の女性になれないかな……』

 居た堪れなくなったらしい彼女は俯いてしまう。誰に見せるわけでもないのだが、背が高くセンスの良い漆黒の彼と並んでしまうと自分が幼くみえてしまうことに少なからずコンプレックスを抱いているのだ。

 ――その時、上品に笑う声がして少女が振り返ると……

 手折った一輪の花を手にした物腰の柔らかい青年が髪に優しくそれをさして微笑む。

『私には誰よりも貴方が一番素敵に見えます』

 彼女の髪にはこの辺りにしか咲いていないガラス細工のように透き通った花びらをもつ可憐な花がキラキラと輝いて美しいが、それさえも彼女の前では単なる引き立て役に成り下がってしまう。やがて花を撫でていた手が少女の頬へとおりて離れた。

『……っあ、ありがとう……仙水』

 ほのかに染まった仙水と呼ばれた青年の頬と、照れたように弧を描いた少女の愛らしい唇。
 いつの間にか美しい男ふたりに見つめられていると気づいた彼女は、あまりの恥ずかしさに瞳を潤ませ、顔を隠すように下を向いてしまった。

『…………』

(……可愛いその顔を隠さないで……
どうかその瞳に私だけを――……)

 ――しかし、彼女の顔へと伸ばした仙水の手は儚く中を彷徨う。

『――――っ!!』

 嫌な予感にハッとした仙水が少女を抱きしめようと腕を伸ばすが、顔を上げ、寂しそうな笑顔を向けた彼女の姿はどんどん周りと同化し……やがて見えなくなってしまった。
 それまで彼女が立っていた場所には、髪にさしたはずの花がバラバラに砕け散っている。

『――――っ、……』

 涙に濡れて悲しみのあふれる彼女の声が聞こえる。
 私は胸が引き裂かれるような激しい動揺に襲われながら必死に少女の姿を探す。

『――っ!!』

 やがてザクリと音を立てた足元へ目を向けると、それまで美しく咲き誇っていた花々たちは色を失って荒地へと化していることに気づいた。

『……っそんな……』

 瞳に映ったモノクロの世界。
 彼女を失ったのだと実感した私は茫然と立ち尽くし心は虚無の空間を彷徨う。一瞬にして絶望感が己を支配し、私は力なく膝をついた――。


「……大丈夫か? 仙水」

「…………」

「仙水っ!!」

 どこからともなく降り注いだ声に激しく肩を揺さぶられ、仙水は重い瞼をうっすらと開いた。

「……大和……」 

 徐々に覚醒していく意識の中で、自分は夢を見ていたのだと自覚させられるこの瞬間が一番嫌いだった。
 この世界に彼女がいない事実を嫌というほどに突きつけられ、二重の苦しみを味わうからだ。
 彼女を失った仙水の世界に色はなく、あるのは生前の少女の姿を追い求めて現実から目を背ける弱い自分の姿だった。

「酷くうなされていたぞ」

 藤色の髪を高く結った青年の心配そうな瞳がこちらを覗き込み、状況を把握した仙水は寄りかかっていたソファの背もたれから上体を起こした。

「すみません。うたた寝をしてしまったようですね。
民に変わりはありませんか?」

「……彼女の夢でも見ていたのか?」

 大和は仙水の発する言葉が聞こえなかったわけではない。
 
「……え?」

 問われた仙水は大和の瞳を訝しげに見つめ、やがて言葉を濁すように目を逸らしながら立ち上がって背を向ける。

「……どうでしょう」

 いつものように掴みどころのない冷静さを垣間見せる仙水に大和は食いついて離れない。

「そうやって感情に蓋をするな。お前のようなやつが溜め込むと一番厄介だ」

「……なんのことでしょう?」

 ピタリと動作を止めた仙水。その声色は普段の彼からは想像もつかぬほどに低く、癪に障ったことがわかる。  

「その想い、隠してるつもりか? 気づいていないのは彼女くらいだ」

「…………」

 大和の眼光と言葉に射貫かれた仙水だが、振り返った彼の瞳はそれ以上の凍てつくような鋭さを含んでいた。

「……隠す? どのような理由からです?
私はあの方を心の底からお慕いしております。エデン殿にも九条にも……もちろん貴方にも譲る気はありませんよ」

 どことなくキュリオを思わせる仙水の端麗な容姿だが、決定的な違いがひとつある。
 いつも慈しみを湛えていた彼の優しい微笑みは彼女を失ってからというもの、聖人とは思えぬほどに暗い影を落とし……完全に闇に囚われているのだった――。

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