【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を

残り二ヵ国Ⅰ

　自室へと戻ってきたキュリオは陽射しを遮るためにレースのカーテンをおろし、ゆっくりベッドに腰掛ける。片手で柔らかな上掛けをめくると、腕に抱いていた赤子の体を横たえた。いまは彼女の意識がないため今朝のように腕にすがってくることはなく、それが少し寂しくもある。かわりに丸くなって眠る彼女の柔らかな前髪を指先で梳くと、ピンク色に染まった可愛らしい頬も、果実のように濡れた小さな唇もすべてが生まれでて間もないと言わんばかりの潤いと滑らかさであると改めて気づかされ笑みが零れる。手荒に扱って傷つけてしまわぬよう指の先にまで細心の注意を払いながら飽きることなく撫でつづける。
　そして時折、口を動かす赤子には珍しくない仕草さえ愛おしく、強く抱きしめて頬をすり寄せたくなる衝動にかられた。

「……このもどかしさはいつか慣れるものなのだろうか……」

王であるキュリオは本来、執務以外の時間を拘束される謂れはなく、ある程度一人の時間を楽しむ余裕があった。しかし、その大部分の時間を彼女に費やしても惜しいとは少しも思わない。そしてこれが仕事かと問われれば彼は間違いなく"違う"と断言するだろう。なにかを欲しがり、手元に置いておきたいと願ったことなど一度もなく、つまりこれは彼が王となってから人として唯一欲した存在なのだ。

――例え、その生命の尺が大きく違うものだとしても――

「…………」

目を閉じた赤子の瞳の縁取りを見つめるキュリオ。幸せを感じれば感じるほど、いつか来る悲しい別れを想像してしまう。彼女の一生分の命がどれほどのものなのか、残り二ヵ国の返事でおおよそが決まってしまうのだ。
　ベッドを軋ませ眠るアオイの傍らへ横になり、彼女の頭を右手でそっと抱きしめると、ふわりと香る甘い匂いが鼻をくすぐる。キュリオの左手はゆるく握られている彼女の手を包み込むように握りしめ、どうにもならない想いを吐き出す。

「……返事を聞くのが怖くなってきたよ」

夢見心地のままに過ごすのもいいかもしれない。知りたくない現実を突きつけられ、残りの時間を数えながら過ごす日々はどんなにつらいだろう。乗り越えたはずの人の命の儚さに、また素直に頷くことができなくなりそうなキュリオ。
　しばらくモヤモヤした感情を胸に抱き目を閉じていると、わずかに日が傾き、部屋に差し込む光がにわかに緋色を帯び始めたことに気づく。胸元の赤子の頭上に手をついて、ゆっくり上半身を起こしたキュリオは、無言のまま髪をかきあげると窓辺に近づいた。

「……夕暮れが近いな……」

それからのキュリオは冷めてしまったであろう紅茶とミルクボトルに視線を投げながら口を閉ざし、再びベッドへ向かう。

(目を閉じて見る夢よりも甘やかな、夢心地な現在(いま)が続くことを強く願ってしまう……)

日の傾きとともに寂しさを募らせるキュリオのもとへ、アレスら五人の使者たちが悠久の門を通過したとの知らせが入るのはそれから間もなくのことだった。