恋のはじまりはスイートルームで

「おい、そんな顔するなよ。気にするとこじゃないだろ。向こうが上役出してきたんだったらお前も早く俺に相談すればよかったんだよ」
「……でも、今日はお疲れかと思って」
「遠慮するとこ間違えるな。そんな頼り甲斐のない上司だと思われてるのかって落ち込むだろ?」

冗談っぽく責めるようなことを言いつつ、また今度同じような問題が起きたときには課長に頼り易い雰囲気を作ってくれる。やっぱり御幸課長、いいな。いつの間にか尊敬が恋心に変わってしまうくらいに。だから手早くコートを着込み始めたその姿を名残り惜しく目が追ってしまった。

「課長、お急ぎなんですか?……あ。さてはこの後デートの約束でも控えてるんでしょ」

ここでYesと答えられたらこれから一人で過ごす時間が辛くなるだけなのに、なんで自分に残酷な想像して、おまけにそれを本人に確かめてしまっているんだろう。表面だけはどうにかニヤニヤ上司を揶揄っているフリして笑顔でいると、コツン、といきなり頭のてっぺんを小突かれた。

「そんな予定あるか。独り身で悪かったな」

独り身。その言葉の意味を噛み締める前に、課長が今凶器に使ったばかりのお菓子の箱を寄越してくる。よくコンビニに並んであるクリスマス限定パッケージのチョコだ。

「これなんですか。まさかサンタさんからのプレゼントとか言わないですよね?」
「部下への労いだ」
「……もう!いつまでもお菓子で喜ぶ女だと思わないでくださいっ」
「じゃあこれいらないのか?」

他の課員たちへの差し入れは栄養ドリンクや缶珈琲だったりするのに、何故か私にだけは決まってお菓子を渡してくる。私は断じておやつ中毒なんかではないのだけど、どんなものでも好きな人から貰えるのは嬉しい。部屋に置いて後から『課長からの贈り物』として大事に観賞するため、「やっぱり食いたいんじゃないか」と言って笑う課長を睨み付けながらもいそいそと通勤バッグにしまった。

「しかしよりによってこんな日に向こうさんの課長に捕まるなんて不運だったな」
「いえ。イブに何の予定もないままカップルであふれかえった野に放たれる方がはるかにダメージ大きいんで、遅くまで残ることになって逆にありがたかったです」

恋人がいないことを冗談ぽく自虐すると、課長は反応に困ったようなそれでいて肩の力が抜けた様な不思議な笑みを浮かべる。

「お互い一人、か。……じゃあ来るか?」

私はめいっぱい課長を見つめてしまう。課長はモテるくせに守備は堅く、女子社員とは一対一じゃまず飲みに行かない。つまり私は女だと認識されていないということなのだろうけど、そんなネガティブな思考に嵌り込む前に反射的に「お供させてください!おいしいハンバーグが食べたいです!」と勢い込んで答えていた。

「それならそこの野田洋食店か?やっぱお前は簡単に食い物に釣られるんだな」
「ダメですか?!」

よっぽど必死な顔していたのか課長が笑いだす。疲れで鉄壁の守りも少し緩んでいるのか、いつもより親しみ易く砕けたその笑みに、胸がきゅっとなった。
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