ビルに願いを。


丈のチームが編成されたこと以外にも、何かが変わり始めているのを感じていた。

広いけれどあまり使われていなかったカフェや、空きスペースのホワイトボードの前などで、チームの異なるエンジニアが話し合っている姿を見るようになった。

丈もボードに書きながら熱心に何かやっているのを見かけるし、時には私も呼び止められて参加することがあった。

本業である就職関連のシステムの開発をメインにやるのはもちろんだけれど、業務時間の15%は自分の興味に従ってチーム外で仕事をしてよい決まりが元々あるそうだ。

「フェニックスらしくなって来たって、社長も喜んでるわ」と麻里子さんが教えてくれた。

エンジニアもスタッフも増やしつつあるから、にぎやかさが日に日に増していくようだった。




丈の一時帰国の条件を満たしたのではないかと思うけれど、社長室に呼び出しを受けることはなかった。

社長は社内を歩き回り声をかけて行く人だけれど、丈とは一定の距離を置いていて私たちのブースのところにはあまり来ない。

わざわざ行って「ケイティのところに早く帰してあげてください」と言えるほど、私はいい子じゃない。

最近は、良くも悪くもなく、勤勉に朗らかに、目立たずに日々を過ごせるようにと帰り道に祈っている。



ずっとずっと前に得意だったこと。

ずっと「自慢の娘だ」と言われながら、少しでも道を外せば見限られたあの日々をなぜだか今更思い出していた。

社長のことを家族なのに愛情がないなんて思ったけど、やっぱり違うなと最近思う。社長は丈がまたやる気になることを信じていたし、丈も社長を信頼してる。

私とママはそんな風じゃなかった。仲良し家族、仲良し親子のフリだけで、脆くもあっさり崩れ去った。




丈は私が避けていることに気づいてる。でも、強く踏み込んでは来ない。

思ったより面倒な女だなと思ってるのかもしれないし、ただ優しさでそっとしておいてくれてるのかもしれない。

「杏。どうした?」

カフェでぼんやりしているところを見つかった。

ふわりと髪を撫でられて、嫌でも弾む胸を抑えてさりげなく一歩下がって距離を取る。

「別に? 丈も休憩?」

当たり障りなく仕事の話をする。目を見ないように気をつける。丈が何か言いたそうな気がするけれど、気のせいってことにする。



よく眠れない日が増えた。ここから追い出される日に怯えつつ、その日を指折り待っている。

楽しげに笑いながら、この楽しい時間が夢だったことを思い知るタイミングをずっと待っている。ずっとここにいたいのに、終わりが来るならいっそ早く終わらせて欲しいとも願っていた。

なぜだろう。まだ何も起こっていないのに、終わりが近づいているのを私はきっとわかってる。

だから、今度は何もわからずに恋に浮かれたりなんかしない。
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