恋愛生活習慣病

act.8

今日のランチは天ぷら定食。

定食といってもただの定食ではない。Sky Next TOKYOの8階にある京都祇園に本店がある高級天ぷら専門店だ。
カウンター席の目の前で揚げてもらう天ぷらは、衣は軽くてサクサクなのに海老や魚の身はふわっとしててとろける。京野菜もすごく美味い。

大変心苦しいことに、多分今日もここのお昼代は冬也さんが支払って、時間がある時は食後に2階のコーヒー店で私がコーヒーを奢る。最近そんな流れになりつつある。
「俺はそれなりに稼いでるからランチ代くらいなんでもないよ」と冬也さんは言うのだけど。

なんだかんだで2、3日に1回はランチに行っているので結構、打ち解けてきたと思う。
気軽なメシ友宣言をしたのが良かったのかもしれない。うん。
仲良くなってきたことだし、ヨガの新企画について、ジムの利用者でもある冬也さんに意見を聞いてみることにした。


「早朝帯にするのはどうかな。NYやLAでは仕事前にヨガや瞑想をしている人が多かったよ。俺はランニングか泳ぐかしてたけど、何かをしてから仕事に来るやつは多かったな」


冬也さんは半年前までNY在住だったそうな。その前はLA。その前はフランクフルトやシンガポールにも居たらしい。
しかも仕事関係だけじゃなくて大学、大学院、最初の就職もずっと国外だったなんて言うからフィールドの違いを感じましたよ。

私なんて生まれてから大学に行くまで修学旅行以外で県外に出たことすらなかった、と言ったら「李紅には故郷があるんだね。うらやましい」と斜め上な返事が返ってきた。
聞けば冬也さんは幼少期もイギリスやシンガポールで暮らしていた時期があるので、国籍は日本だけど地元はどこだって聞かれたら困るんだ、と苦笑いしていた。

冬也さんのご両親はグローバルにお仕事をされていて、現在はアメリカ在住。
お父さんは日本人とオーストリア系フランス人のハーフ、お母さんはイギリス系日本人と中国系シンガポール人のハーフとかうわあ頭がこんがらかるー。
要するに日本人遺伝子が若干多めな国際色豊かな家族らしい。
5代前まで遡っても日本人しかいない私の家とは大違い。

そんな海外の生活にも詳しい冬也さんなので、アメリカのビジネスマン生情報はありがたい。
今回の企画も、マインドフルネス瞑想やヨガがアメリカのビジネスマンの中で流行していて日本でもヒットしそうだからやってみようってことになったみたいだし。


「そういえば高層ビルのヨガは最高だって言ってた人がいたよ。ウォーキー・トーキーのスカイガーデンだったかな。ああ、ザ・シャードのセッションも人気だと言ってたよ」

「それはアメリカのどっかですか?」

「いや、どちらもイギリス。ロンドンだよ。今度、一緒に行こうか」


ときどき知らないカタカナと軽い冗談についていけないことはあるけど、情報通だし知識の引き出しは多いしでいろいろなことを教えてくれるからありがたい。

高層ビルのヨガかあ。
ここも高層ビルだけど、フィットネスジムのスタジオがあるのは6階だもんなあ。
そう言うと冬也さんは「スタジオじゃなくてもヨガはできるだろう?」と言い出した。


「そりゃそうですけど。あ、ビルの裏のガーデンとか?それはちょっと考えたんですよね」


「屋外でやるのは気持ちがいいだろうけど、日本の男性は人目が多い屋外は抵抗があるのじゃないかな。今回は男性のビジネスマンがターゲットだろう?」

「うーん、そうか。そういえばヒルズの前の芝生広場でやってる早朝ヨガを見に行ったら女性ばっかりでした」

「大人数の女性の集団を前にすると男性は余計に入って行き辛いと思う。日本は男性のヨガ人口がそれほど多くはないようだし、男性が参加しやすい環境を整えることが必要だろうな」


なるほど。
男性目線というだけでなく、冬也さんは私の話をじっくり聞いて問題点を洗い出し質問してくるから気づかなかったことに気づかされることが多い。

「コンサル業はそういう仕事だから慣れてるだけで俺が特別聞き上手って訳ではないよ」と冬也さんは言うけど、それなら私は無料でプロに相談しているようなものだ。むしろランチをご馳走になってるし。
いいのかこれで。いや良くないよね。うーむ。

それはともかく。


「高層ビルでヨガ……と言っても勝手に上層階を使えるわけでもないからなあ」

「李紅、上層階なら55階のラウンジを使えばいいんじゃないか?」

55階?
ってどこだ。スマホをタップしてSky Next TOKYOのフロアマップを検索。


「会員制VIPラウンジって書いてありますけど」


一般ピーポーは入れない区域でございます。セレブ会員のあなた様は入れるでしょうけどー。


「あそこは全面ガラス張りだから朝日もたっぷり入るし眺望は抜群にいい。日本で高層階を使ってのヨガはまだ多くないだろうから目新しさもある。東京を眼下に空を感じながら体を動かすのはとても気持ちが良いと思うよ」


想像すると、そりゃあ素敵だろうと思う。私もそんなところでヨガやってみたい。しかし。


「それ、すごくいいアイデアだとは思うんですが無理ですよ。賃料、時間いくらかかると思うんですか。会社もそこまでの予算は組んでくれないだろうし、そもそも平民は入れない区域です。」

「平民って、メンバーかそうじゃないかってだけだろう?俺があのジムに通う時間帯に限ってだけど、あのジムに通う男性の7割はラウンジで何度か見かけたことがある。つまりはターゲットを上手く絞ればヨガクラスの参加者は55階を常用している会員が多いってことだ。それほど問題ではないよ」


問題ないって言われても……。
それって「VIP会員ばっかりいるから利用してもいいでしょ?いいよね?」って交渉しろってこと?誰と交渉するんだろう。分からん。


「それに賃料がお高そうですよ、あそこ」

「当たり前に借りればね。でも早朝帯は利用客が少ないし借りるのは一部分だ。それに交渉はできると思うよ」


冬也さんは簡単なことのように言うけど。
交渉……私にできるんだろうか。


「李紅、水曜日の夜のヨガクラスにこのビルの社長……正確には管理運営会社の社長だけど、彼が参加しているのは知ってる?」

「そうなんですか?いや全然知らなかったです」

「彼とは知り合いなんだ。もしよければ、この件、俺に任せてくれないか」


ええ!?
冬也さんがそこまでしてくれるの?と喜んだけど、いくらなんでもそれは図々しすぎる。
こうして相談に乗ってもらってるだけでもありがたいのに、そこまでは厚かましくはなれないと断ったんだけど。


「大したことはしないよ。たまたま彼と知り合いだから少し話すだけだ。李紅は企画に集中して」

「いや、でも」

「大丈夫。彼の弱みを……いや、事情を少しばかり握ってるから話は聞いてくれると思う」


今、弱み握ってるって言いかけましたよね。事情は握るものじゃないと思います。
冬也さんの微笑みが黒いのは気のせいではきっとない。
怖いけどSぽい表情がものすごく似合うから可。うふふ。


「李紅、そうだな、明日の朝、下見に行こうか」

「下見?」

「そう。下見。李紅は明日の朝も自主練に来るだろう?その後にでも」


冬也さんはスマホで自分のスケジュールが空いているのを確認すると、さっそく明日の朝、VIP会員フロアに連れて行ってくれるという。
メシ友ごときにここまでしてくれるとは、なんていい人なんだ!


翌朝。

ヨガの自主練をしてから、同じく朝ジムで汗を流した冬也さんと、この前みたいにジムの受付カウンター前で待ち合わせした。
受付の女の子にものすごい勢いで手招きされて「どういうことですか!?」と聞かれたけど仕事で関わりがあるとだけ答えた。
まあ嘘ではないし。メシ友なのはうるさく騒がれそうなので黙っておく。

そしてやってきました55階。
心の声を口にすると「ふおおおおおおおおおお」である。
語彙力がないのでそうとしか表現できないんだけど、つまり感無量ってこと。

言葉にできないくらい感動。何この空間。55階からの眺めが素晴らしすぎる。
空が近い。地上が遠い。東京タワーが見える。
天井が高く解放感のある空間で、天井の一部まで全面ガラス張りになっていて、その向こうは東京が360度眺められるようになっていた。

フロアに目を向けると、あちこちにこんもりとした植栽があり、瑞々しい葉や茎を伸ばし花を咲かせていてちょっとした植物園みたいになっている。
日本庭園や芝生エリア、なんと小さな滝まであって高層ビルの中とは思えないくらいに緑が溢れている気持ちのいい場所だった。

レストランやバー、カフェも数か所あって食事やお茶、お酒を楽しめるようになっているらしい。
上品なソファやテーブルの並べられた、落ち着いたホテルラウンジをイメージしていたのだけど全然違った。いい意味で期待を裏切る素敵な空間だった。

感動して物も言えなくなってる私に冬也さんが「気に入った?」なんて聞いてきたけど気に入ったどころの話じゃない。すごいよここ。さすがVIPラウンジ。


「軽い物しかないけど、朝食はここで摂ろうか」と言われて、ぽやぽやした頭のままカフェエリアまで手を引かれて素敵なソファに座ったところで、我に返った。

「朝ごはん、ホテルでなくても食べるところあるじゃないですか」

「まあね。でも李紅は何か好きか分からなかったから。ホテルなら対応できるだろう」


だからって私ごときに気を使いすぎだからそれ。
あ、でも私に気を使ったというより、冬也さんの基準が私とは違うのか。
一流ホテルの朝食が冬也さんにとっての「普通」なのかも。

遠い人だなあ。


「どうした?」

「え、ううん、なんでもないです。そういえば冬也さんは朝は洋食が多いんですか?」


出てきたカフェの朝食は、メニューはごく一般的な普通のものでほっとした。
でも食べたらさすがVIP。トーストは外はカリッと中はふわっとでコンビニで買う食パンとは全く別物で普通じゃなかった。
オムレツもこの前のホテルほどじゃないけどふわふわで美味しいし、サラダも全て有機栽培の野菜ってメニューに書いてあった。


「そうだね。どちらかと言うと洋食が多いかな。でも食べないことの方が多いな」

「冬也さん、それはダメです。朝ごはんは食べなきゃダメですよ」


人間の体内時計は大きく分けて二つ。
脳内の視交叉上核にあるメイン時計と体内の臓器に散らばるサブ時計だ。

体内時計は1日24時間ではなく、24時間半とか、25時間とか24.1時間とか諸説ある。分かっているのは人によって様々で24時間きっかりではないってこと。つまり地球の自転の24時間と体は時間の「ずれ」が生じてくる。
体内時計がずれると体調を崩し、太り、病気になりやすいらしい。
では、ずれてしまった体内時計をリセットするにはどうしたらよいか。

それは光と朝ごはんなのです!

朝の光は目から入って脳内のメイン時計のスイッチを入れ、朝ごはんにより内臓のサブスイッチを入れるのだ。
まさに1日のスタートは朝。
体内時計は睡眠ホルモンとも呼ばれるメラトニンの分泌に関わってくるので良質な睡眠のためには体内時計を整えることはとても重要。

って難しいことをごちゃごちゃ言ってるけど、要するに朝ごはんは絶対に食べなきゃダメだってこと。
まだ研究中の部分も多いけど、徹夜したり時差ボケしていたりで脳の体内時計がずれていても朝ごはんで調整できた事例は少なくない。
そんなことを冬也さんに話して朝食の重要さを力説してみた。
すごい勢いで朝ごはん朝ごはんって言ったからちょっと引いてたけど、私、腐っても保健師&看護師なんでここはきちっと指導しますよ。
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