派遣OLの愛沢蜜希さんが、ヤサぐれ社員の久保田昇に神様を見るお話
ヤサぐれた、お子ちゃま。
急に派遣会社担当と面会が知らされたのは、その次の日の事。
「誰とは言えないけど社員の人。心配だからって連絡貰ったんだよ」
とある事から、それは恐らく林檎さんだろう。「大丈夫です」「順調です」「困る事はありません」それを3回繰り返しても、担当は納得しなかった。
「他の部署に変わる?」
「それは契約満了で切られそうになってから、考えます」
ここで飛び出したら、今まで役員のセクハラに耐えてきた苦労までもが水の泡だ。以前と比べて、それほど居心地が悪くないという事もあるし。
面談を終えて、3課のデスクに戻って来た。
さっそく課長が、お出まし。
「愛沢さん、ご案内、この住所に出しといてくれる?」
出遅れた間に、雑用がてんこ盛り。これは大丈夫でも順調でもないな。
「あとさ、そこのファイル。5つあるんだけど、商社関連の統計データの推移、ピックアップしといてくれる?」
ここ10年分。年度別に。一覧に。新しいファイルを作ってまとめておいて。
私がバタバタしたり、くるくる回るのを、久保田は真横でずっと、涼しい目で眺めていた。のんびりとコーヒーを飲み、いつものようにネットを彷徨う。
これから年末に向けて、特に事務方は殺人的に忙しくなる。去年のように、管理課あたり別フロアから、私はお呼びが掛るかもしれない。……年末調整か。
「そろそろ冬のボーナスだな」
久保田が呑気に呟いた。ボーナス。派遣は知らない。食べたこと無い。
「車でも買うかなぁ」と、久保田は聞えよがしで呟いた。これみよがしに車のカタログHPをググっている。何買うの?って突っ込んで欲しいのか。
不意に目が合った。
「何だよ。文句か。言えよ。黙るな。笑うな」
はいはい、かまってちゃん、でちゅね。
「車って、道の駅とかご当地スーパー巡るのが楽しいですよね」
新鮮で美味しい。そして安い食材。効率を考えたら、誰かに連れて行ってもらうドライブはパラダイス。バス旅行の、1万円で絶対元を取るというミッションがたまらない。そう言うと、「ふん」と久保田は鼻で笑ってくれた。
「俺が住んでる千葉なんか、海沿いは道の駅だらけだ」とドヤ顔。
知っている。
そして、千葉は久保田の物じゃない(東京の物でもない)。
「1回ぐらいなら乗せてやってもいい。アソコ洗って待ってろ」
そこで久保田は急接近。怪しく手を伸ばして、いつかのように、私の髪の毛を掴んで、くんくんと嗅いだ。それを見た周囲は、ドン引きと絶望の狭間で凍り付いている。されるがままの私にも、周囲はドン引きだったように思う。
「久保田さん、その最後の台詞、もう一度お願いします。どうぞ」
それを聞いた途端、久保田は髪を放り投げた。
「今度は誰だ」
「小栗旬だと思い込んで聞いたら、行きたい場所が変わるかもしれません」
「3回死んでくれよ。マジで」
いつものように、萎えた、と収まるかと思えば、「この次はこの程度で終わると思うなよ。震えて待て」眼力だけが冴えている。はいはい。言葉だけ。
これだけ喋って打ち解けても、何とか踏み込んでやろうと企む強欲が感じられない。痴漢とか、絶対出来ないタイプだろう。
小者が過ぎる。いつかみたいなちょっかい、嫌がらせがいいとこだ。
ヤサぐれた、お子ちゃま……それが私が思う、今の久保田だった。
私は余裕で受け流す。いつもの女の子は相変わらず怯えながらやって来るけれど、「よかった。愛沢さん居たぁ~」と懐いてくれて、何て居心地のいいオフィスだろう。いつものように久保田がその女の子にセクハラしないのは、上に訴えた事が効果を発揮しているのかもしれないと思った。ヤサぐれても決定は守るタイプか。明らかに、久保田は見えない振りで女の子を無視している。
「これから会議だ。おまえも来い」
唐突に、久保田から言われたけれど……そんな予定あったかな?
迷いながらも、資料、モバイル、先週の報告書、それを両腕に抱えて、久保田の後に続いた。ところがエレベーターで1つ上の階に辿りついたその途端、「こっちだ」と隅の備品室に押しやられる。
資料一切合切そこら中にバラ撒いたまま、久保田の手に捉えられた。
「ちょっと、ヤラせろ」
急に襲うの、無し。
「好い思いさせろ。メシ位は食わせてやる」
「もう一度言って下さい。その台詞は、西島秀俊で聞きたいので」
「マジで首締めるぞ」
今日はいつになく久保田は強引だった。すぐにブラウスのボタンを外しにかかると、胸元を押さえる。あの時に比べたら、幾分大胆になっていた。
だがそこから、急に指先が迷い始める。不慣れな動きであちこちを彷徨って。
ふと……高校んとき付き合ってた初彼とダブった。付き合う事も、そこからもお互い初めて。緊張して、寒くて、震えて。確か、バスケ部の部室だったな。
最後に付き合った男は、3年前の商社マン。何でもスマート。慣れてる感じ。
結論、色々な女の子と慣れてる男だった。
不意に、久保田の手が止まる。
「……今、誰とスリ替わってんだよ」
「すみません。勝手に元カレが現れました」
途端、久保田の指先が勢いを失った。
「リアルと比べんな。萎える。マジで」
生々しい一般人よりは芸能人の方がマシだという事なのか。久保田といえども比べられる対象にはプライドがあるらしい。
「奴隷は、頭空っぽにしてりゃいいんだよ。何も考えるな」
「気をつけます」と、資料をまとめて小脇に抱えた。
「会議なんか無いじゃありませんか」と責めると、「奴隷だろ。そこは察しろ」
にべもない。
ここまで久保田に近付いて、また分かった事がある。言おうかどうしようか迷って「僭越ながら」と、やっぱり言う事にした。
いつも付けている香りがキツい。違う香りなら悪くないかも……とアドバイス。
「ネクタイの次は匂いか。調子に乗るなよ。奴隷のくせに」
久保田は背を向けて、真っ先に備品室を出て行った。やって来たエレベーターを片手で止めて、乗れ、と顎で私に命令する。……残念。久保田じゃなければ。
今までそれほど注目していなかったのに、エレベーターの中、久保田から漂う香りが急に気になり始めた。香り選びはネクタイより難しい気がする。
時間の経過を考慮したセンスの問題。そして、己を知っているか?
この課題、久保田はどうやって乗り越えるのか。無視するのか。
今は、その先の展開を心待ちにしている……派遣OL,愛沢蜜希である。
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