ドストライクの男
02)小鳥の秘密

身分を偽る他にも、小鳥には、もう一つ隠しておかねばならない秘密があった。

「お嬢様、遅くまでお疲れ様でした」
「田中さんもお疲れ様」

B5F管理室。ここは表向き『癒しの田中さん』が常駐する執事田中の職場だ。

二人は特別会議室である、奥の間の和室で、コタツに入り、お茶をすすり、今日の報告会なるものを開催していた。

今宵の茶菓子は、執事田中の一押し店、和菓子の老舗『桜の何処』のどら焼きだ。

一見、ほのぼのと平和そのものの風景だが、二人を取り巻く環境は一種異様だ。
何故なら、彼等のぐるりを……そう、映画やドラマで見る、ペンタゴンやFBI指令室にあるような機材が取り囲んでいるからだ。

「本日も監視モニターには、別段怪しい動きなどはありませんでしたが、『恋するビル』と評されるだけあり、非常階段やトイレ、倉庫などで男女の密会が目立ちます……特に十二月に入ってから件数はうなぎ上り。通常の倍以上です」

執事田中は、別室にある保安部から上がってきた報告書を前に、苦笑いを浮かべ、付け加えるように言った。

恋するビル……かぁ、と小鳥は頷く。

このビルはオープン以来、『お金持ちビル』とか『イケメンビル』とか言われていた。
甘味な密のように、女性たちを惹き付け、ピンク色の噂が絶えない『お騒がせビル』としても有名なビルだった。

だが、それら全て、三日月には想定内のことだったようだ。
そんな現場を前に、こんな風に宣ったのだ。

「当たり前じゃない、お気に入りの会社しか入居させていないもの。仕事で優秀な殿方は、全てにおいて優秀なものよ。モテるのは当然」

そう、人間の内も外も見通す彼の審美眼は確かなものだった。
三日月のお気に入りなら、こうなるのも当然のことだった。

だからだ、小鳥を呼び寄せ、シークレットサービスのように、ビルを見張らせているのだ。ビルが風紀面で乱れることのないように。高潔なイメージが崩れないように。

……というのは単なる言い訳に過ぎない。
詰まるところ、三日月は愛娘を呼び戻したかっただけだ。そして、嫁ぐその日まで、側に置いておきたかっただけなのだ。

真の理由は知らずとも、小鳥は三日月の期待を裏切る事なく、忠実に仕事をこなしていた。

「全く……職場で色恋沙汰とは」

仕掛ける女も女だが、相手にする男も男だ。どこが優秀な殿方だ。
小鳥は、ヤレヤレ、と頭を振り、書類に目を通す。

「このような件は各自自己責任でお願いしたい。まぁ、目に余るようなら、それ相応の対処が必要となるでしょうが……一応、その者たちをリストアップしておいて下さい」

了解致しました、と執事田中が頷く。

「それ以外は、平和そのもののビル内のようですね」

「ただ……」と小鳥が眉を顰める。
ん? と執事田中はどら焼きに齧り付くのを一旦止める。

「スイートルームに連泊中のお客様のことが気になります」

小鳥の言葉に「ああ」と執事田中が微笑む。

「黒羽光一郎様のことですね。彼は作家だそうです」
「あら? 何故彼のことを知っているの」
「はい。ホテル側に確認致しました」

執事田中も『癒しの田中さん』と身分を偽っている身、個人情報云々でなかなか聞き出せなかっただろうに……流石だ、と彼の有能な働きぶりを、小鳥は心底感心する。

「そう、ならいいの」

ずっと気になっていた謎の人物の正体を知り、安心したようにどら焼きの残りを口に入れ、お茶を飲み干すと「今日の報告会はこれで終了」と立ち上がる。

時計の針は間もなく午後九時を指す。

「じゃあ、また明日。おやすみなさい」
「お疲れ様でした。ごゆっくりお休み下さい」

執事田中の見送りを受け、和室奥の納戸のドアロックを指紋認証で開ける。
そこにエレベーターが一基。52F直通のエレベーターだ。
それに乗り込むとICカードをかざし、六桁の暗証番号を押す。

「パパ、今日もB.C. square TOKYOの『平和』と『美』は守れたわ」

リラックス効果とリフレッシュ効果を期待し取り付けてある消臭装置が、エレベーターが作動すると同時に、柑橘系の上品な香りを漂わせ始める。

その香りを体内外に存分に浴び、小鳥はようやくホーッと息を付く。

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