王子様はパートタイム使い魔
プロローグ


 石畳の狭い路地を黒猫が音もなく猛スピードで疾走する。昼下がりの陽を受けて光沢を放つ短い毛は、長いしっぽの先まで真っ黒で、白い石畳の上では目立っていた。
 黒猫の姿を見た人々は、恐怖に顔をゆがめて指さしながら叫ぶ。

「無印だ!」

 中には悲鳴を上げて逃げ出す者もいた。黒猫が通ったあとは騒ぎになり、いつもは穏やかな城下町が騒然となった。
 やがて武装した自警団や城の騎士たちも現れて、黒猫のあとを追い始める。猫一匹にずいぶんと大袈裟で物々しいが、それには理由があった。

 黒猫は魔力があり、そのため魔に染まりやすく、かつて悪魔の使い魔となった黒猫が人の世に様々な災厄をもたらしたという。悪の使い魔となった黒猫の魔力を封じたのが魔女たちだ。
 伝説ではない。今もこの国ディートハウゼン王国には魔女たちが人々と共に暮らしながら人々の生活を支え、黒猫の魔力を封じている。
 そして魔女によって魔力を封じられた黒猫は額に金色の六芒星が浮かんで見えるようになる。この印の見えない黒猫は、悪魔の化身や使い魔として人々に恐れられているのだ。
 無印の黒猫は見つけ次第捕まえて魔女に引き渡されることになっている。殺してしまうと断末魔の呪いでやはり災厄に見舞われるという。それで自警団や騎士たちが一匹の猫を大勢で追いかけるという一見滑稽な様相を呈していた。

 しかし猫は俊敏でしなやかで、あっという間に狭いところに潜り込んだり高いところに飛び乗ったり、人の手で捕まえるのは容易ではない。おまけに野生の猫は警戒心も強いので知らない人間が近付いただけで逃げてしまう。そんな猫を捕まえるために、人間たちには魔女の作った魔法のアイテムが渡されていた。

 だが、城下町に現れた黒猫は、なぜか犬のように石畳の上をひたすら走り続ける。先回りした騎士が脇道から現れて道をふさいでも、股の下をくぐり抜けてひたすら走り続けた。
 自在に延びる魔法の取り縄を投げられて、ジャンプすることはあってもやはり地面を走っている。

 やがて猫の行く手を、町を取り囲む高い石積みの壁が阻んだ。猫が振り返ると、すぐそこまで人間たちが迫っている。その時になって猫はようやく上を見上げた。壁のすぐそばに家の屋根が張り出している。さすがに一気に屋根に飛び乗るのは無理がある。ふと、壁際に置かれた樽が猫の目に留まった。

 立ち止まった猫に向かって、取り縄が伸びてきた次の瞬間。猫は樽の上にひょいと飛び乗った。そしてそこを足場に屋根の上に飛び移る。地団駄を踏みながら罵声を浴びせる人間たちを後目に、黒猫は屋根から壁の上へ移動して町の入り口の方へ走り去った。

 とりあえず追っ手は振り切ったものの、またすぐにやってくるだろう。もう町には戻れない。
 猫は立ち止まり、宝石のようなターコイズブルーの瞳で町の中心にそびえ立つ王城を見つめた。
 そして壁の上から町の外に飛び降り、街道の先にある森に向かって駆けだした。

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