その笑顔が見たい

まだ入社して間もない頃、ウマが合う桜木と夜な夜な飲み歩いていた時期があった。
覚えたての仕事、取引先との人間関係、営業成績と仕事の話から、酒が進むとプライベートな話まで。


取引先と一悶着あり憂さ晴らしに柳さんと桜木と飲んだときにひどく酔っ払った時があった。
その時に二人がここぞとばかりに普段固く口を閉ざしている女性に関して質問攻めにしてきた。
質問して来たのは桜木だけだが、柳さんの差し金に違いない。


「翔ちんの彼女はどんな人?」だの「なにしてる人?」だの言われていたのは覚えてる。
その時、彼女はいたが頭に浮かんだのは葉月の顔だった。
高校生の葉月が「翔ちゃん」って笑って僕に駆け寄ってくる。
大人になった僕は葉月を力一杯抱きしめていた。


夢でも見てたのか、幻想を起こしていたのか、とにかく酒に酔って思考回路はショートしていた。だから自分が「はーちゃん、はーちゃん」と、うわ言のように葉月を呼んでいたなんて思いもしなかった。


「僕の大切なはーちゃん。大好きなはーちゃん」とまで言ってたなんて、後日、「はーちゃん」は誰だという二人からの追及にはシラフの僕は口を割らなかった。


しかし、あまり女性関係の話をしたがらない僕に大切な存在の「はーちゃん」がいるというネタを掴んだ桜木が黙っているわけがない。
何かにつけて「はーちゃん」を登場させるからたまったもんじゃない。


そんなことを知っている桜木は僕が宮崎になびいているという話を聞いて疑念を晴らしたくてしかないらしい。



「でさ、本当のところ翔ちんの本命は誰なの?この間、告白してきた病院の子は?紗江ちゃんだっけ?」


以前担当していた病院へ異動の挨拶に回っていた時、ある病院の事務局の女性に突然、告白された。
それが永井紗江(ながいさえ)
柳さんが一緒にいた時だったので、当然、桜木の耳にも入っていた。

いくつか年下の一般的に言われる可愛らしい子だった。
今は決まった彼女はいないと言う理由だけで、何度か会っていた。


好きになれるかどうかなんてわからないけれど、好意を持たれて悪い気はしない女性だったので、告白されてから数回、食事に出かけている。もちろん大人の付き合いであって食事だけで終わるはずはない。一度、関係を持った。
紗江は見た目とは違って積極的だった。断る理由もなく、その流れに乗ってしまった。

それを今は少しだけ後悔している。
聡と再会し、葉月に会いたいと言う気持ちがどんどん膨らんでいくうちに、紗江の存在は小さくなり、桜木に言われるまで紗江との関係を考えることを逃げていた。

そんな俺の気持ちの変化に気がついているのかいないのか、桜木が何か興味を持っているのは伝わってきた。




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