ただひとりの運命の人は、私の兄でした

目もくらむような幸せと、胸が張り裂けそうな地獄

光希は高校に入学する頃、身長が186センチにもなっていた。
それだけでも人目を引くのに、とにかくルックスが整い過ぎていてやたらと目立つ。
日本人離れした足の長さ、理想的な体格、そして何よりあのマスク。
鼻梁の線が美しく、何もかも見透かすような琥珀色の瞳に見つめられれば誰もが心を奪われてしまうだろう。
独特の華やかさもあり、ホストをしていると言っても何の不思議もないくらいだった。
実際、ホストのスカウトも受けたことがあるようだったけれど、本人はきっぱり断ったと笑っていた。
「ホストになったらナンバーワンになれるんじゃないの?」
「いやだよ。そんなのやったら、あおいに心配かけちゃうし」
「またあおいあおいって!光希君のあおい溺愛っぷりはひどいものね」
光希をからかったはずが突然腹を立て始める母は、相変わらず勝手だった。
そんな母を見て、私と光希は目を合わせてこっそり笑い合った。
そして、光希が何よりも私を優先してくれていることが嬉しくて、胸がくすぐられていた。

光希はモデルや芸能事務所に声を掛けられることもしょっちゅうだった。
それも興味が無いからもらった名刺はすぐに捨てていたらしいけれど。

光希は完璧すぎて近寄りがたいと思われがちなのに、実際話してみればフランクで細やかな気遣いを忘れないところから、そのギャップにくらくらきてしまう異性が続出しているようだった。
それだけだと同性から嫌われそうなものだけれど、男同士で和気あいあいと絡みバカなおふざけにも付き合うのでウケは非常に良い。
コミュニケーションスキルが私とは天と地ほども違うのだ。

光希の追っかけみたいな高校の同級生たちが家まで押し掛けてきたこともあった。
そして同じ家にいる私を目にして、彼女たちは大抵不躾な視線を投げかけるのだ。

『なに、この子?』
『妹にしてはちっとも似てない』

本当に、目は口ほどにものを言う。
女は恐い。特に男がらみの女は最凶だな、と私はつくづく思い知らされた。

「この子は僕の大事な妹だから。みんなも仲良くしてあげてね」

そう光希が私の事を紹介すれば、彼女たちはころっと態度を変えた。

「へぇ~、妹さんなんだぁ!仲良くしようね」
「可愛いねぇ、エキゾチックな感じで。光希君とはあまり似てないけど」

突然の称賛の言葉に私は内心おかしくなった。ああやっぱり女って恐い。
ちらりと光希を見れば私と同じ気持ちだったようで、彼もまた苦笑いを浮かべていた。

光希は非常に優秀で、特に算数に弱い私に、幼いころから優しく丁寧に勉強を教えてくれた。
また、彼は経済に非常に明るい人で、学生の頃から未成年向けの株式口座を開設し、少しずつ投資をしていた。
光希の読みは鋭く、大学生になる頃には資産が一千万円を超えていたというのだからその手腕の素晴らしさが分かる。
その上、難関国立大学にストレートで合格してしまう明晰な頭脳も持っていた。

持って生まれた素質が違うのだろうな、と私はいつも思っていた。
完璧な兄。
そんな人には、きっと完璧な女性が似合うのだろう。
間違っても私なんかじゃないというのは重々承知していた。

私は光希に溺愛されているとは思うけれど、それは妹としてだ。

それを思い知らされたのは、私が中学一年生だった頃だ。

その日、私は学校で熱を出してしまい、早退することになった。
父は会社、母はお友達と旅行、兄は大学のため、誰も迎えに来てくれる人なんていない。
心配する先生を、大丈夫ですからと押し切って一人で家路を辿った。

…まずいな、身体、熱い…

私は玄関のカギを開け、身体のだるさにため息を吐く。
その時、あれ、と思った。
大学に行っている筈の兄の靴と、もうひとつ、可愛らしいミュールが並んでいたのだ。

その時、胸がざわつくような嫌な予感がした。
きっとこれは知らない方が良い事だ、私は本能で感じ取った。

でも、我慢することなど出来なかった。

猫の様に足音を忍ばせながら、二階に上がり、兄の部屋に近づいた。

「っ、……!!」

聞こえてきたのは、兄とその彼女と思われる女性の話し声。

「えぇ……うそぉ……」
「ほんとだよ、ね、……でしょ」
「ふふっ、……いいよ」
途切れてはいたけれど、私の耳にははっきりと届いていた。恋人同士の幸せそうな会話。
とてもとても楽しそうな雰囲気が伝わって来て、息が止まりそうになった。

光希は彼女を家に招いて、楽しいひと時を過ごしていたのだ。
私が知らない光希の一面を見せつけらた様で、背筋が凍りそうになった。
もしかして、このまま邪魔がなければ、それ以上の行為にも及んだりするのだろうか。

バカな私は余計な想像をして、頭をぶんなぐられた様なショックを受けた。

心臓はあり得ないくらいに早鐘をうち、みぞおちの辺りがずんと苦しくなった。
かたかたと震える手で何とか口を抑え、叫び声を出さないように必死だった。

涙で潤んで視界が霞んだ。
裏切られたような気分だった。

もちろん、そんなの私の勝手な気持ちだということは分かっている。
兄には兄の世界があって、そこで何をしようと私にどうこう言う権利は無い。
それでも、寂しかったし苦しかった。
まるで失恋でもしたかのように。

……失恋?なんで?

自問自答しながら、物音を立てないように再び家を出て、近くの公園に逃げ込んだ。

公園のブランコに座りながら、ぼんやりと考える。
熱のせいなのだろうか、随分身体が熱い気がした。

…私は光希のことが大好きだ。小さいころからずっと。
でも、それは兄妹としてではなく、恋愛感情を持っていたのかな。
だからこんなに苦しいのかな。

静かに涙を流しながら、キィ、とブランコを揺らした。

兄は大人なのだ。自分よりもずっと、ずっと。
そして、彼に見合う大人の女性と愛し合っているのだ。心も、身体も。

そう思ったら頭がカッと熱くなった。
光希が女の人に覆いかぶさり、愛を囁く姿を想像したら、何だか身体の奥もずくんと熱くなった気がした。

……そうか、私は、光希のことが好きだったんだ。
でも、残念だな。この恋は叶わないや…

涙は次々溢れてきた。どうやっても止まってくれなかった。

この一件は私の胸の奥底に沈めて、誰にも話さない事に決めた。
そしてその時から、光希の愛情を履きちがえてはいけない、と私は自らにきつく戒めるようになった。
気が付いてしまった恋心は、決して消えてはくれなかったけれど。私の一方通行な想いは、今も昔も変わらないままだ。

ちょうどそれくらいからだろうか、両親の歯車は狂い始めていったらしい。
ちょっとした行き違いからだったようだが、それはやがて大きな歪となり、気がついた時にはもう手遅れになっていた。
そして私が高校2年生になった時に、両親は離婚の道を選んだ。

家族として何度か話し合いを重ねていたが、その日は子供たちがこれからどうするかという事が話題に上がった。
驚くべきことに、両親それぞれにもういいひとがいるらしい。
光希も私も、その心変わりの早さに呆れた。

その頃には光希は所謂、青年実業家という成功者になっていた。
元々頭脳明晰だった彼は大学時代にあるシステム基盤の特許申請をして、それが馬鹿みたいに儲かっていた。
更にこつこつと溜めていた資金を元手に事業を起こし、そちらも大成功を収めていた。
天は二物も三物も与えたものだ。

しかし、この完璧な兄とももうすぐお別れなのだ。妹として溺愛されるのも、もうおしまい。
この幸せな時間は、神様が私にくれたプレゼントだったんだ。
もう十分だ。私は光希にたくさんのものを貰ったのだから。
必死で自分にそう言い聞かせたけれど、胸はぎりぎりと痛み、鼻の奥がつんとした。
でも泣いてはダメだと自分に言い聞かせていた。

私は正直に言えば、もう母親に振り回されるのは勘弁願いたかった。
また新しい父親が出来て、その人と一緒に暮らすことになるなんて。……考えただけでぞっとした。
そんな煩わしさから解放されて、出来れば一人で暮らしたかった。

家族会議の場で、私は拙い言葉で自分の希望を伝えた。
すると、大学に合格することが出来たなら、一人暮らしをしても良いと母が認めてくれた。

ああ、良かった。

私は心の底から安堵のため息が出た。

でも私はその時、高校一年生だった。大学入学するまでは私をどうするかという問題が起きてしまった。
きっと母だって新しい伴侶と二人きりで過ごしたい事だろう。そこにお邪魔するなんて、私だってそこまで野暮な真似はしたくなかった。

……やっぱり私は邪魔ものなんだな。

まるで人ごとみたいに、ぼんやりとそんな事を思っていた時だった。

「僕があおいの面倒を見るから、これから一緒に住むよ」
ぞっとするような低い声で光希が宣言し、私も両親も驚いて目を丸くした。
「……だって光希はもう他人になるんだよ?そんなにお世話になる訳にはいかない……」
私が慌ててそう言い募ると、光希は聞いた事もないような大声を出した。
「そんなの関係ない!!」
ダン、と机を叩いて彼が怒鳴ると、その場はしーんと静まりかえった。
「僕、マンション買いますから。そこであおいと暮らします。あなた方が離婚したとしても、あおいは僕にとって大切な妹です。あなたたちの勝手な都合で、もうこれ以上僕たちを振り回さないでください」
真剣な表情でそう宣言されれば両親は何も言い返す事が出来ず、全員が光希の言う事に従った。

そこからの光希の行動は素早かった。
有り余る財力にものを言わせ、厳重なセキュリティのマンションをぽんと購入してしまった。
あれよあれよという間に私の入居は決まり、元は義兄、今は他人との二人きりでの同居が始まったのだ。
私は便宜上、如月の姓をそのまま名乗ることになった。

それは、私にとって目もくらむような幸せでもあり、胸が張り裂けそうな地獄の始まりでもあった。

だって、私は光希に変わらず恋心を持っていたのだから。でも光希はきっとそんなこと知らない。私を“妹として”慈しみ、愛情と安らぎを与えてくれる。

今日だってそうだ。
私の誕生日だということで、自分の経営する会社をわざわざ休み、朝早く起きてディナーの仕込みをし、愛車を自ら駆って高校まで迎えに来る。
……私が彼女だったら最高に嬉しいだろうな。
あり得ない夢を見るたび、みぞおちのあたりがぎゅっと苦しくなる。


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