あなたしか見えないわけじゃない

4


小さなほころびでも繕うことをしなければ次第に大きくなる。
たとえ繕っても何もなかったようにはならない。



相変わらず、彼は週に1日外来診療に来ている。
その日、採血室の担当だった私は外来師長室に向かう途中で彼を見かけた。
診察が終わった静かな外来の廊下で談笑していた。

白衣姿の3人の中の1人が彼。
あとは三村先生とあの女医さん。内科の香取先生。

木村さん情報では、香取さんというドクターは彼の後輩で三村先生ともサークルの先輩後輩という間柄らしい。
海外留学から戻りこの病院勤務になったが1年か2年で大学病院に戻ることが決まっているという。

彼の後輩。
あの日、彼のベッドに寝たのは彼女だろうか。
たぶん、そうなんだろう。

たまにICUで顔を合わせる程度だけど、その度に繰り返される私に対する高圧的な態度にげんなりしていた。

その事に気が付いた師長が香取先生に「うちの藤野に何か不手際があったのか」と聞いたそうだが、彼女の返事は「別に他のナースと区別してはいないが、使えないナース相手には不機嫌にもなる」だったそうだ。

今朝のこと、
今日の検査に使用する器具をワゴンに並べて準備していた。戸棚から滅菌されたガーゼを取り出していると、自分の背後で金属製のものが倒れるの大きな音がした。

ガッシャーン

驚いて振り返ると私が用意していたワゴンが倒れており、その横に膝を押さえて座り込む香取先生がいた。

「先生!どうしました?」
駆け寄って香取先生の膝を見ようとすると
「あなたがやったんじゃない!ひどいわ!ワゴンを私にぶつけるなんて!」
と叫びだした。

え、何言ってるの?

「先生、私は何もしてません」

「とぼけないでよっ」
屈み込み膝を痛がる香取先生を助けようと近づいていた私の身体を突き飛ばす。

「きゃっ」

ワゴンの倒れる音と香取先生の叫び声に驚いた他のスタッフがわらわらと集まってくる。

「どうしたの?」
「何、今の音は」

香取先生は消化器外科の若いドクターや脳神経外科の年配のドクターの姿を見つけて「このナースにいきなり突き飛ばされたんです」と涙目で言い出した。

ドクター達は驚いて私を見る。
「違います。私は何もしてません。先生の勘違いです」
私も動揺してしまい、やってないと繰り返した。

残念ながら目撃者はいなかった。

主任が香取先生を休憩室に連れて行き、話を聞くことになった。膝を痛がるため整形外科のドクターが診察をしたようだった。

私はというと、看護部長室に呼ばれていた。

午後になり私は師長と主任に頭を下げた。
「私なりに頑張って仕事をしているつもりでしたが、皆さんに迷惑をかけてしまって申し訳ありません」

私自身、何か仕事上で問題を起こした覚えはないし、確認できる範囲で他のドクターやナースなどスタッフからの私のミスの指摘は何も無かった。
それがわかっているだけに師長は今後の対応に苦慮したのだろう。

当分の間、日勤業務は中央採血室のみ。夜勤だけICU業務につける。夜勤も遅出勤務と深夜勤務がほとんど。
私と香取先生を接触させないようになんだろう。
< 67 / 122 >

この作品をシェア

pagetop