放課後の図書室。

そこは無類の読書好きのあたしにとって、神聖な場所だった。

今までは。


「鞠子先輩、勉強教えて」


じりじり、なんて擬態語は当てはまらない。
彼の場合は、ずんずん。

まず勝手にあたしが手にする本を閉じ、代わりに自分のテキストを机に広げ、そして眼鏡の奥の瞳を細める。

まるで目を離すことを、決して許さないかのように。


「数学と、英語と、あと俺に恋のレクチャーを」
「田中くん。」


まどろっこしいことが嫌いなのか、はたまたただからかわれてるだけなのか。

どちらにせよ容姿端麗、頭脳明晰で有名な1年生の人気者が、あたしみたいな地味女を相手にする理由にはならない。


「…いい加減にしてください。本返して」


あたしは椅子ごと彼との距離を空け、机の脇に片付けられた本に手を伸ばす。

なのに、「__っちょ!」それはまたすんでのところで奪われて、伸ばした腕を捕まれる。


「な、何するのよ!勉強なら他の人に見てもらえば」
「来週からテストでしょ。学年首位の鞠子先輩に頼って、悪い?」


そして「返して欲しかったら座って」こうして言いくめられるのだ。


「…っ」


瞳に吸い込まれる、前に。


「…英語の辞書は?」
「あ、俺持ってない」


(勉強する気あるのかしら。)


ため息をひとつ吐いて、あたしはおもむろに立ち上がる。「…借りてくる」


(なんであたしがこんなこと…。)


釈然としないままに、本棚から辞書を借りて戻ると。「…寝てるし。」


開け放たれた窓から注ぐ夕日に、黒髪の艶やかさが増す。
無防備な横顔を覗き込んで、そっと眼鏡に触れた。


「君は…本気なの?」


(それとも、遊びなの?)


思わず口に出した言葉にはっとして、手を離そうとした瞬間。


「…バカですか」


まつげが揺れたのは、窓から吹く風のせいではなかった。

手のひらから指先までギュッと握られて、脇に抱えてた辞書がするりと床に落下したのは言うまでもない。


「学年首位が聞いて呆れるなぁ」
「…っ…、狸寝入りなんて趣味悪いわ」
「だってこうでもしないと先輩、落ちてくれないでしょ」


顔を上げると彼は、眼鏡を外した。
それだけであたしの頬は夕日色に染まる。


「もうバカなこと聞かないで下さいね。先輩」


放課後の図書室。

そこはあたしだけを見つめられて優しくキスを交わす、神聖な場所に変わった。



fin

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