彼女の居場所 ~there is no sign 影も形もない~

陰影

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「はい、THコーポレーション秘書室谷口でございます。はい。その件でしたら…はい、かしこまりました。手配いたします」


私は今、神田部長の紹介で部長の知り合いが経営するという会社で働いている。

秘書室所属で社長の第2秘書という肩書きだけど、やっていることは役員全員のスケジュール管理と調整、役員会の資料作成や他部署との連携調整など、前の会社で神田部長相手にやっていたことと余り変わりはない。

おかげで考えていたよりスムーズにここの秘書業務に馴染むことができた。
THコーポレーションは大きな組織であるのにも関わらず、ここの社長やスタッフはフレンドリーで非常に助かっている。
姪の保育園のお迎えに行かなくては行けない日はきっちり定時に退社させてもらえるし、姉の出産の時にも何かとお世話になった。


姉は無事に元気な男の子を出産して今は育児休暇中。
母はまだ孫を抱き上げる事はできないけれど、手術後のリハビリを終えて日常生活を取り戻しつつある。
父は海外赴任を終えて来月完全帰国する事になり、来月からは家族6人でにぎやかに暮らす事ができそうだ。

逃げるように退社、転居して、仲良しの由衣子にまで連絡を取らずにしていたけれど、1ヶ月後にやっと由衣子にだけは連絡を入れた。

電話の向こう側で由衣子に泣かれてしまった。
当たり前だ、完全に私が悪い。

「副社長が早希を探してる」

その一言に私は黙った。

「由衣子、私と連絡が取れたことは誰にも言わないで」
そうお願いした。

「わかってる。今まで私に連絡してこなかったのは私に嘘をつかせたくなかったからでしょ?知らなければ教えられないし。知ってて教えないのとは違うもの」

そうなのだ。
私の居場所や連絡先を由衣子に教えなかったのは、由衣子の精神的な負担を減らすためでもあった。
もちろん、逃げ出すような女を副社長は探さないのではないかという気はしたけど。

あの時、由衣子には「しばらく連絡がとれないけど心配しないで。落ち着いたら必ず連絡するから」と伝えてから実家に戻った。

由衣子も私の実家がS市にあるのは知っていても住所までは知らないのだから、例え副社長に聞かれても答えようがない、そう思ったから。



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