「こんにちは、
今日は宜しくお願いします。」





6年生達の声で私は我に返った。


…写真を見ながら
思い出に浸っていたらしい。




「おや?男の子が居ないね?」

「すいません、
ちょうど、この班の男子が
サッカー部でして…。
初戦を勝ち進んだもので
今日は2回戦で…。」



お腹の大きい、若い女性教諭が
申し訳無さそうに言い訳をした。


「そうですか、
それは目出度い事。」


私はそう言ってあげた。







地域の戦史を辿る
課外授業らしい。


学校側から子供達にお話しをと
依頼を受けた時、
私は一度は断った。

私自身は戦争に
行っていないから。



話したくない気持ちも有った。








きっとこの町が
当時は軍需工場が多くて
海からアメリカの戦艦から
艦砲射撃を受けた事、
それは私以外の人がみな、
話す事だろう。





でも戦場を知らない私が
自分の家族の事を話して
伝えるのも
何かの役に立つのかも知れない。





私は母親の事を
話す決心をしていた。








「さて、…どこから話そうか。」






お茶を急須から
湯呑みに入れながら
私は当時を思い出す。

緊張なのか、
言葉が上手く出て来ない。




あれは私が何歳の時だろう。



「小學校には
まだ行っていなかったんです。」







父親は体の弱い人で
それこそ小學校の先生を
していたんだが、
兵隊さんにはならなかった。



母親は看護婦だった。






あれは、、、
梅雨入り前の暑い日の事だと。


駅のホームに私達は居た。

そこまで
どうやって来たかは
覚えていない。








「万歳ー万歳ー万歳ー!!」



町の人がみな、
私達に万歳をしている。




「父さん、どうしてみんなは
万歳してるの?」

「母さんが満州に行くんだ。
従軍看護婦として
天皇陛下の兵隊さん達を
看病しに行くんだよ、
喜ばしく名誉な事なんだ。
昨日、話しただろ?」




そう言う父親は
ちっとも嬉しそうではなく
笑っていなかった。



「満州? みいは?
美依子は連れていくの?」




まだ赤ん坊の妹、
おっぱいはどうするのだろう。


「鍛冶町の伯母さんに
お願いしたから大丈夫さ。」




父親はそう言う。


父親と母親は
二言三言、言葉を交わし
母親は妹と私を
力一杯抱き締めた。



「母さん、早く帰って来てね?」


「…お利口さんにして
父さんの言う事を
よく聞きなさいね?
みいちゃんの事、お願いしますね、
お兄ちゃん。」





そう言って母親は
汽車に乗り込んだ。



見送りの人達に
頭を何度も何度も下げて、、、



父に抱かれた妹と
父のズボンにつかまる私に
手を振ってくれた。










「それが、、、
私が母親を見た最後です。」





子供達は
私が淹れたお茶も飲まずに
熱心に聞き入って
くれてる様だが。





「出征」と云う言葉を説明した。

召集令状と言ってね、、
赤い紙が来て戦争に行くんだよ。
民間人が兵隊さんになるには
徴兵検査が有ってね、
甲種合格、乙種合格とか、
甲乙丙丁戉って別れてね、

うん、私の母の様に
女の人も戦争に行ったよ、

従軍看護婦って云ってね…、、、








この子達に
私の話は難しいだろうか






小學校に入り、
私は母親に覚えたての字で
一生懸命手紙を書いたが
母親から返事が来るのは
稀だった。





ある日、やっと
待ちわびた返事が来たかと
思えば、
その手紙は殆どが墨で
黒く塗り潰されていた。



私には意味が解らなかったが
多分、夫や私、妹を
余りに案ずる内容は
家族、つまり国民の戦意を
喪失させるとして
検閲が入ったのかも知れない。





父親がその手紙をくしゃっと
丸めて、天井を見上げた姿は
今でも覚えている。








「けんえつって何ですか?」


「軍隊ってのはね、
色々と機密事項、あ、
秘密が有るからね、
検閲って言って秘密が
漏れない様に
お手紙とか調べるんだよ。」


「えーやだー
自分の手紙を関係無い人に
見られるなんてー。」






…そうだよ。
なんか、おかしいと
今なら子供でも思うだろ。






私は預けられた父親の姉の家で
随分と肩身の狭い思いをした。



父親と伯母は随分と歳が
離れていた為に
姉弟と云う感情が
希薄だったのかも知れない。

4人の従兄弟はみな歳上で
食事はあからさまに差があった。



…伯母は伯父さんに
遠慮していたのかも知れない。



夜、時々、父親が食事に寄るのが
待ち遠しかった。




まだ赤ん坊の妹が泣いても
伯母は知らんぷりで
必要最小限の事しか
してくれなかった。


私は随分と困ったが
歳上の従姉妹が優しい人で
助かった。






夜中に一人で便所に行くのは
大変に恐かった。


でも寝小便をして
伯父や従兄達に
叱られたくはなかった。




夜泣きする妹を抱いて
眠い目を擦りながら
何度も外に出た。









母親はどうして
戦地に行くのを
断らなかったのだろう。




いつもいつも考えた。



まだ赤ちゃんの、みいを置いて。





「ご立派なお母様ですこと。」

何かにつけて伯母が言う。



…まるで
僕の母さんが悪い人みたいに。






ある夜、
父さんが来て
珍しく皆で夕飯を食べている時に
サイレンが鳴って
伯父さんが電気を消した。



山の手の防空壕に避難する時に
どかんどかんと音が聞こえて。





真っ暗な防空壕の中で父さんが

「日本は負けるかも知れない。」

って言ったら
伯父さんが怒りだして
ケンカになった。

みいが大泣きして
私はみいの口を押さえるのに
必死だった。









私は夜は、いつもいつも
母親の事を考えていた。




満月の夜も
三日月の夜も
月の無い夜も。






どうして母さんは
僕たちの傍にいないんだろう。










「…少し疲れました。笑」




お茶を一口すすり
首を左右に振ると
ポキポキと音がした。



子供達が少し笑う。




「あら、すみません、では、
今日はこの辺までに致します。」



身重の若い女性教諭が
子供達を促す。




「お茶を飲んでって下さい、
年寄りの独り暮しで
何のお構いも出来ませんが。」



子供達はお茶は飲んだが
煎餅には誰も手を付けなかった。




「ありがとうございましたー。」


ノートを小脇に
少女らは軒先から
挨拶をして立ち去った。





…煎餅は気に入らんか。
なら洋菓子を買ってこようか。










子供達が帰った後、
次回に話す事を
纏めておかねばと考えた。

感情的になりそうな気がした。





戦時中は幼かった私には
戦後の混乱期の方が記憶に有る。

食べ物が無くて苦労した事や
全ての価値観が逆さまに
なってしまった事、、、、



父親を戦争で亡くした友達や
その母親から
あなたにはお父さんが居ていいね
って、よく言われたが
それは逆に
でもお前にはお母さんが
居るじゃないかと、
思ったが、…言わなかった。



子供の目からしても
一家の働き手が居ない家庭の
大変さは解ったから。










男の子達の声が聞こえた。
どうやらサッカー部の子達だろう
今日の試合も勝った様だ。






とんと音沙汰の無い
東京の孫は元気だろうか。

正月も夏休みも来なくなったな。




娘からの年賀状、
写真によれば
サッカーをしている様だが。








もう、こんな時間か。

…大分、日が長くなった。







「…よっこらしょ。」


夕飯の支度でもするか。














母親は
白い箱になって帰って来た。



大日本帝国が負ける少し前だ。






私には戦争の知識が無い。



母親がどうやって死んだのかも
解らない。



ただ遺骨も無い箱と、
遺品として
母親の手帳が有って、、、
看護日誌の様な物が
少し書かれていた。



父親への恋文みたいな
文面が殆どで
私達兄妹を心配する内容も
書かれてはいたんだが。









私はその存在を知らなかった。






父親が亡くなった時に
遺品整理をしていて
父親の机の引出しの奥から
出て来たのである。








手帳には
古い写真が挟まっており


茶色く色褪せた写真は
妹が生まれて間もない頃の
家族写真だった。










写真の裏には






悠、美依子、ごめんなさい。

早く会いたい。








と書かれていた。













私はそれを見て







初めて母親を許せた気がする。

















蚊の羽音を耳にして
自分の顔を叩く。



「そろそろ蚊取り線香、
出さなきゃな、母さん。」





それは母親に言ったのか
亡妻に言ったのか。





一人で、ふっと笑う。

















ある家族の
個人的な戦史である。




























「後書き」



自分は戦争も戦後の混乱期も
知らない世代である。

文中の至らぬ部分は
どうか御容赦頂きたい。



子供の頃、第二次世界大戦中の
日本やドイツの戦闘機、爆撃機、
戦艦、戦車のプラモデルばかり
作っていたが
戦史に付いては無知である。


ある番組にて一枚の絵画を視て
この話のあらすじが
頭に浮かんだ。



文中の「私」は
作者の少し前の世代である。




作者には母親が居ないが
父親は存命である。


ただ、関係は義絶状態であり
20年近く音信は無い。




読んでくれた方に
もし親御さんが故郷で
独り暮らししている人が居たら。




そんな思いもある。




実際に戦時や戦後の混乱期を
経験した方には
文中の言葉足らずで
至らぬ事、もしかしたら
おかしい部分が有るかも
知れない事を謝罪したく思う。






尚、この作品は
作者が住む地方が梅雨入りする
少し前に書き上げた。





















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戦争  従軍看護婦  母親  独り暮し