スノーフレークス
 ふと真下を見ると、マンションの前の道路を近所のおばあさんが歩いているのが見えた。
マンションの隣にある家に住む西野さんのおばあさんは、毎朝家の前で掃き掃除をしていて、私が通りかかると明るく挨拶をしてくれる。学校帰りに会った時など「葵ちゃんは毎日夕飯の買い物をしてえらいね」と声をかけてくれるし、母さんの体の調子もきいてくれる。そういえば彼女とはここのところ会っていなかった。
 西野のおばあさんはこんな夜更けに傘も差さずにどこへ行こうとしているのだろうか。この寒い中、彼女は部屋着姿のままコートも羽織らずに雪の積もった道路を進んでいる。あのお歳の人があんなかっこうで外を歩いたら風邪をひいてしまう。もしかして認知症が始まったのじゃないだろうかと私は思った。
 私はとっさにコートを羽織ると、家族には「ちょっとコンビニまで言ってくる」と言って玄関を出た。私はエレベーターで階下まで下りてマンションの正面玄関を出た。
 おばあさんの進んだ方向を見ると、彼女が百メートルほど先にある角を曲がっていくのが見えた。私は新しい長靴を履いて慣れない雪道を駆けていく。
 私は息を切らしながらあの曲がり角まで走った。角を曲がるとそこには古い町屋が建ち並んでいる。

 私は目の前の光景を見て驚いた。前方には舟のような形をした木製の乗り物があり、その横に白装束の女が二人立っている。この悪天候の中、おばあさんだけでなく女たちも傘を差していない。おばあさんは背中を丸めたまま覚束ない足取りで女たちに近づいていく。
 目を凝らして白い女たちを見て、私はさらに驚いた。一人は氷室さんだ。もう一人の女は氷室さんとよく似た顔をしているから、二人はおそらく姉妹なのだろう。二人とも腰まで届く黒髪と抜けるように白い肌を持っている。その青白い顔はぞっとするほど美しい。こんな時間に寒い町の中を出歩いて彼女たちは何のつもりなのだろうか。

 西野のおばあさんは舟に近づくと何のためらいもなくそれに乗り込んだ。年長の女は手のひらを口元に添え、その端正な唇から白い息をおばあさんに向かって噴き出した。キラキラと輝く氷の粒を含んだ小さな風はまるでダイヤモンドダストのようだ。
 白い息を浴びたおばあさんはその場に座り込んで頭を垂れた。彼女は眠っているのだろうか、それとも……。もう一つの可能性を考えて私の体は恐怖でかたまった。
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