それからどうやって部署まで戻ったのか、思い出せない。
とりあえず私は全身を震わせながら、デスクにある私物を段ボールにつめこんでいた。

「おい、有森。なにがあった?本社勤務だなんて、聞いてないんだけど」

山内さんがそんな私を、驚愕の目で見ながら言う。

「わっ私にも、なにがなんなのか……」

気を緩めると、今にも泣いてしまいそうだ。
時間が経つにつれて、自分が置かれた状況を冷静に理解しはじめていた。
勢いでとんでもないことを、あろうことか会社のCEOに頼んでしまった。
雑誌の表紙でしか見たこともない人と、結婚するなんて。私、大丈夫なの!?

『お前みたいなやつに、そんな大役が務まるわけないだろ?本気でバカじゃねぇの』
頭の中に浮かんだ海斗が、高笑いをしている。
そうよね。上手くやれるわけがない。
本当にそうだ。今だけは、頭の中で笑う海斗に共感する。

そんな私を、たくさんの人が取り囲むように見ていた。

「本社の受付だなんてびっくりよね。まさか瑠衣ちゃんがそんな華やかなところに行くなんて。驚きだわ。どうしたらそうなるのよ。私だって無理なのに」
女性の先輩社員が言う。
彼女の話は裏を返せば、立派な嫌味だということくらい、バカな私だって気づいている。

『綺麗な人しか行けないようなところに、どうしてあなたみたいな人が?身の程知らずなんじゃないの?』

そう言いたいのだろう。
だてに海斗の隣で、嫉妬に満ちた視線に耐えてきたわけじゃない。
だけど、言い返す余裕もない。黙って聞き流す。

誰よりも私自身が、この急な展開についていけずにいるのだから。

段ボールにガムテープで封をし、私は皆のほうをチラッと見た。
六年もの間勤めた割には、私物は驚くほどに少なかった。
こんな小さな段ボールに簡単に収まってしまう程度の、これまでの私の世界。
ここで楽しく仕事をしてきたが、人間関係も意外に薄いままなのだろうか。

思えば、勝手に結婚を決められたにも関わらず、たいした抵抗もしないで私と結婚しようとする海斗。
偶然に出会ったばかりなのに、お互いに都合がいいからといって偽装結婚をすることになった、月島CEO。

人と人とのつながりなんてものは、そんなに簡単に手に入るものではないのかもしれない。私が憧れている恋愛のロマンスも、本当は一生かけても訪れないのかも。
だったら、お金持ちでイケメンな男性と結婚できるだけで、私はこの上なくラッキーなのかもしれない。
お互いの願いを叶えたなら、あっさりと終わればいいだけのことだ。

そう考えると、少し気が楽になった。手の震えが徐々に止まってくる。
そうだ。こうなった以上は、CEOの結婚を全力で阻止し、私も海斗の呪縛から逃れよう。そのうち海斗が誰かと結婚したなら、さすがに私と彼をどうにかしたいと思う人はいなくなる。
恋愛未経験者の私だけど、なにもCEOと本気で恋愛するわけじゃないのだから。

「今までありがとうございました。お世話になりました」

一瞬の間にいろんな覚悟を決めて、深々とお辞儀をしながら挨拶をする私を、皆は黙ったまま見つめていた。
その思いは羨望なのか好奇なのか。なんとも言い難い視線で皆は私を見ている。