マリンシュガーブルー

彼は気がつかず、そのままジャケットを拾い腕にかけ直した。

「あの……?」

彼が立ち上がってもおつりを握ったままの美鈴を見て、彼が訝しそうにしている。我に返り、美鈴は彼の手におつりを手渡す。その手が震えないよう、精一杯、いつも通りを意識して。

「ありがとうございました。お気をつけて――」

弟と一緒に、ランチタイム最後のお客様を見送った。店内に誰もいなくなる。

「姉ちゃん、見たか、さっきのあの人の腕」
「う、うん……。でも、はっきりと見えたわけじゃないし」
「んなわけないだろ。あれ入れ墨だろ! うわー、やっぱりそうだったんだ! 言葉遣いが紳士的だけれど、イマドキのヤクザさんはきっとそうなんだ! うわーー!」

コックコート姿の弟が黒髪をかきむしって取り乱した。俺がやっと独立した店にヤクザが来た、ヤクザが常連になっちゃったと、お客様がいないのをいいことに大騒ぎ。

「どうしよう、姉ちゃん、やっぱり出入り禁止にしたほうがいいのかな」
「やめなさいよ。まだはっきりとわかったわけではないし、なんの問題も起こしていないのだから。いいお客様じゃない。なんでも美味しそうに綺麗に食べてくれて、週に三回も来てくれるんだよ」
「わかっているよ……。俺だって……」

あの人ほど通ってくれて、あの人ほど美味しそうに残さず食べてくれて、自分の料理を気に入ってくれている人はいない。料理人としての喜びと、やっと手に入れた自分の城を守るオーナーとしての気持ちがせめぎあっているようだった。

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