今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
はじめての外出
 装飾のない無地のブラウスにパンツ。いつもより随分質素な格好をしている。

「どうだ、うまくいっているか?」

「陛下。ええ、アリーナ様は飲み込みが早いです」

「それは結構」

 かつかつと足音を立てながら近づいてきたカディスはアリーナの腕を掴んで立ち上がらせた。

「悪いが、借りていく。こいつの午後からの予定は全てキャンセルだ」

「え……ちょっと待ってください、まだダンスの時間じゃないですよね?」

「予定変更だ。重要なことを忘れていた。つべこべ言わずについて来い」

 セルジュも止める気はないようで、アリーナはずるずると引き摺られる。そのまま外に出て、馬車に乗せられた。

「一体どこに……っていうか、陛下のその格好は」

「視察だ。自分の目で見る方が何より確かだろう。ドゥーブルは無理だが、自国のことは知ろうと思えは幾らでも知れる」

 カディスは言いながら帽子を目深に被った。
 アリーナの視線に気がついたのか、こちらを見てにやっと笑う。

「わからんだろう?」

 初めて見る、悪戯っぽい顔。服装も相まって、とても皇帝には見えない。
 改めて見ると、やはり綺麗な顔をしている。アリーナよりずっときめ細やかな白磁の頬。アーチを描く眉に、形の良い少し厚めの唇。
 あれが、自分に触れたのだと思うと。

「なんだ、じっと見て。今更緊張か?」

 ──どきりとした。
 二人きりで出かけるなんて、まるで──デートのようでは?
 突然その黒曜石の瞳に自分が映っていることが恥ずかしくなって顔を逸らした。

 アリーナは自分が基本的に異性に対する免疫がないことを今更ながらに思い出した。生まれた時から自分が生きることだけに必死で、そういう色恋に関わる機会がろくになかったのである。

 血を吸われる行為は、そういう羞恥より驚きや憤りの方が大きくてそのようなことを考える余裕も無かったが、むしろこうして何事もなく話をしている状況の方がむずむずする。
 カディスが嫌な奴だとわかっていても、体がかちこちに固まって言うことをきかない。
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