今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
自分じゃなければ
「……ディー……」

 あたたかい何かが一滴、頬を伝うのを感じた。
 夢──懐かしい夢を見ていた。未だ夢うつつのような気持ちで顔を覆う。

「なんだ?」

 横から声が聞こえて、はっとそちらを向く。
 まさか人がいるとは思わなかった。滲んだ目をこっそり擦って、深く息を吸う。

 ──よし。大丈夫、いつものアリーナだ。

「別に呼んでないですけど?」

「わかっている。……言ってみただけだ。お前が俺をそんな風に呼ぶはずがないからな」

 そっけなく言ってカディスは笑った。その笑みが悲しそうに見えて、アリーナはもう一度目を擦る。と、もういつものふてぶてしい顔だった。

「寝かせてやったんだから、早く支度をしろ」

「……あ」

 そのまま立ち去ろうとするので声を漏らしてしまう。カディスがこちらを振り返った。

 自分が起きるまで待っていてくれたのだろうか、なんて思い上がって。もう行ってしまうのかと、そう一瞬言いかけた自分を殴りたくなった。

 大きく頭を振り、できるだけ嫌味らしく聞こえるように低い声で呟く。

「あの、私なんか最近よく気を失うんですけど。実は体弱いんですかね」

「違います! 前も言いましたけど、陛下が飲みすぎなんですよ!」

 突然現れたララにカディスもアリーナもぎょっと目を見開く。
 アリーナは冷や汗を垂らしながらそっと天井を見上げる。今、あそこから降りてこなかっただろうか? 穴なんてないし、本当にどこから出てきたのだろう……

「アリーナ様の血がとーっても美味しいのはわかりますけど! こう何度も無理をさせて何とも思わないのですか! 陛下は節度と言うものをですね!」

「わ、悪いとは思っている……すまん」

 びしりと指を突きつけられ、カディスは閉口した。居心地悪そうに視線を泳がせると、逃げるように部屋から出て行った。
 ララはまったく、とため息をついてアリーナを振り返る。

「申し訳ありませんが、今から私が担当する時間です。体調は?」

 立ち上がり、ふらつかないことを確認して頷く。

「全然大丈夫です。あの、ララさんにお願いがあるんですけど……私に、剣も教えてもらえませんか」

 ララは眉間に深く皺を刻んだ。

「お断りするつもりしかありませんが、一応理由をききましょう」

「剣士みたいになることは望んでません。自分の身くらいは守れるようになりたくて。今回も……私の血を吸うことになったのは、私のせいで怪我したからなんです。これからドゥーブルに──敵国に行ったら、私みたいなのでも狙われると思うから。せめてあの人に迷惑をかけないくらいにはなりたくて。お願いします、ララさん」

 真っ直ぐに目を見つめる。見つめ返してきていたララが、大きく息をついた。

「そういうことなら、仕方ありませんね。扱いを知っているのと知らないのでは大きく違いますから。確かにナイフくらいは使えた方がいいかもしれません」

 ぱあっと顔を綻ばせたアリーナにララは目にも止まらぬ速さで何かを突きつけた。顔を引き攣らせ、寄り目になりながらそれを見つめる。
 
「フォー……ク?」

「全て組まれたメニューがちゃんと早く終わったらの話です。今日はテーブルマナーですよ」

 ララはそう言って両手に食器を持ちにっこりと嫋やかに微笑んだ。
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