今宵、皇帝陛下と甘く溺れる
断章*片眼鏡の悪魔
「まだ、その様子はないけれど。もし、もし……これから先、私の子が吸血鬼の血を引いてしまっているとわかったら、どうか、あの子に『血の盟約』のことを教えてあげて。私と同じ末路を辿らないように。
──お願いよ、セルジュ」

 やつれた顔をぎこちなく笑みの形に歪めて、彼女は最後にそう言った。
 何を知ったとして、頭ではいくら考えられたとして、それでも気持ちはどうにもならないと、自分が誰よりも知っているくせに。

 そして何より、それを少しも後悔していないくせに。


 翌日、侯爵の愛人が亡くなったらしいと使用人たちが噂しているのを耳にした。実際、それから一度も彼女には会えなかった。



 彼女がいなくなってから、自分はまたちっとも面白くない日常を取り戻した。王族とはいえ、末席もいいところだ。城の隅っこで本を読むことだけが楽しみだった。

 数日が経った頃、どうやら彼女の子供は下町に棄てられたらしいと仲の良い侯爵家の使用人からこっそりと聞いた。確かまだ十を過ぎた辺りだったと思う。治安の悪い下町に放り出せば、十中八九直ぐ死ぬだろう。

 様子を見に行ってみようかと決心がつくにはそれから半年ほどが必要だった。わざと汚した服を身につけ、ひとりで下町に出た。

 何度かそれを繰り返して、彼女の子供が見つからないことにほっとしていた。きっと死んだのだと言い聞かせて──あの日。

 身なりの良い男たちに子供が嬲られていた。酷いことをするものだ、流石にあれは死んだなと他人事にぼんやりと眺めて、ふと動きを止めた。
 こっそりあとをつけ、少年を焼却場の山に投げ捨てて去っていくのを見送った。

 ゆっくりと近づき見下ろす。ぐちゃぐちゃになっていたが、わからないはずもなかった。侯爵にはちっとも似ていない、母親譲りの美しい闇のような黒髪と黒眼。

 少年の瞼が震えた。至極緩慢と、微かに目が開く。

「……だ、れ……?」

 間違いない、こんな状態で口がきけるなんて。
 彼女の子だ。……化け物だ。きっと、彼女は望んでいなかっただろうが。

 唇が知らず笑みを刻んだ。嬉しかったからかどうかはよくわからなかった。彼女を喪ってから長く感情が欠落していた。
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