オトナの恋は礼儀知らず
5.話し合いは不可能
 不意に思考は停止された。

 煩かった思考の波が引いてさざ波さえも立たなくなった。

 唇に控えめに唇が触れたから。

 心は真冬の凍てつく寒さの中にいたはずが、急に雲がひらけてひとすじの春が訪れた錯覚を覚えた。

 その一瞬の春と静寂が意識の浮上によって大嵐に変わった。

 思うよりも早く頬をはたくと、はたいた先から乾いた笑いが聞こえて信じられない気持ちだと言われたようだった。

 自分だって分かっている。
 平静を装おうと般若に見られてまで誤魔化していたのにキス程度で………。

「……忘れていらっしゃるようだ。
 もう一度……時間ありませんか?
 してみましょう。
 そしたら思い出すかも。」

 隠しておくつもりのない欲情と色気。
 
 あてられないように目をそらしてハッキリと拒否する。

「しないわよ。」

 既婚者と素面でしたら人として終わってると思う。

 生娘でもあるまいし、何があったのかは大人なのだから責任を取らなければなるまい。
 何で償うべきなのか。
 もちろん桜川さん本人ではなく奥様に。

 償う………それは何よりももう会わないことに限るだろう。

 体の熱が引けて冷たいものが体を侵食していく。
 それとともに自分が冷静になっていくのを感じた。

 自分こそが正しいのだ。
 不倫なんてしてたまるか。

「お互いに無かったことにしましょう。
 酔った過ち……と言うには、ずいぶん歳を取り過ぎていますけど。」

 歳を引き合いに出すのは自分を卑下しているようで好きじゃない。
 それでも年甲斐もなく……と心の底からの思いが歳を取り過ぎていると口に出ていた。


 そもそも今のこの状況で話し合いが出来ているのは非を認める準備があるということではないのか。
 私には不倫などする気は毛頭ないと分かってくれれば………。

「しかし……していたらどうします?」

 思わぬセリフだった。
 桜川さんからの言葉は非を認める台詞では無かった。

 していたら………桜川さんも記憶がないんじゃない。




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