強引専務の身代わりフィアンセ
Prolog
 机ひとつ挟んで対面のソファに座る彼からの射貫くような眼差しは、私の言葉を封じ込めた。けっして静かではない事務所なのに、今は世界から隔離されたかのように部屋には重い沈黙が降りている。

 そんな中、私は目線をどこに、正確にはどちらに向けていいのか迷った。彼か、彼が差し出してきたものか。

 背が高く、すらっとしていながら、ほどよく引き締まっている体。それを覆うのは素人目から見てもわかる高級そうなスーツ。艶やかな黒髪と目力のある切れ長の瞳は、まるで黒豹だ。

 どこまでをカウントしていいのか悩むところだけど、彼と会って言葉を交わすのは二、いや三回目だ。全部違う場所で、そのたびに彼の見せる表情も全部違った。

 一回目は冷たくも穏やかで紳士的、二回目は探るような、敵意の混じった表情、そして今は――。

「これは、どういうことでしょうか、高瀬(たかせ)専務?」

 意を決してゆっくりと、そしてはっきりとした口調で私は再度尋ねた。彼は長い脚を見せつけるかのように組み直すと、表情を変えないまま口を開いた。

「言っただろ? 君が欲しいんだ。いったい、いくら必要だ?」

 悠然と答える彼に、私は眉をつり上げた。机の上には紙切れが一枚、なんでもないかのように置かれている。仕事で使うメモ用紙のように、本当にさらっと。

 それは小切手と呼ばれるものだった。ドラマや映画でしか見たことがないがそれくらいの知識はある。こんな扱いをしていいものではないことも。

 そこには、彼の名前と数えるのも気が引けるほどの桁数の金額が書かれていた。

 どうして彼がここに来て、私にこんなことを言っているのか。状況が理解できない。てっきりクビを宣告されるのかと思っていたのに。彼にとって私は、いくらでも代わりがきく存在のはずなのに。
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