伯爵令嬢シュティーナの華麗なる輿入れ
5.ご飯がのどを通らない
 馬車は走る。畑と、静かな林を抜けてスヴォルベリの屋敷へ真っ直ぐに走る。

 先ほどまで賑やかな場所にいたことが嘘のように、馬車の中は静かだった。息をすることもためらわれるようだ。イエーオリの顔を見られなくて、シュティーナはうつむいていた。

「シュティーナ様。わたくしはスヴォルベリ家のために働きお守りするのが役目です。なにかあってからでは遅い」

 イエーオリが指で眼鏡を直す仕草をする。
 スカーフを落としてきてしまったから、シュティーナは両手で首元を覆った。もう、スーザントを離れたのだから顔を隠す必要は無いのに。

「……イエーオリ。ごめんなさい。でも」

 でも、なんだというのか。シュティーナは自分が何を言おうとしているのかと喉を詰まらせた。唇が、熱を思い出して震える。

(わたしは、サムを)

「あの男に、もう会ってはいけません」
 
 熱を断ち切るようなイエーオリの言葉だった。

(こんなはずじゃ、なかったのに)


 夕陽が、屋敷の壁を照らしている。停車した馬車から降りると、すぐに、リンが駆け寄ってきた。

「伯爵様と兄上様がお帰りです」

「えっ」

 リンの言葉を聞き、シュティーナは血の気が引いた。たしかふたりの帰宅は明日の夕方になるはずだった。思ったよりも早い。

「お待ちですので、お支度が出来ましたら……」

「すぐに行くわ」

 シュティーナは乱れた髪の毛と身なりを素早く直し、スヴォルベリ伯爵がいる部屋へと向かった。

「お父様。シュティーナです」

「入りなさい」

 部屋の中から低く響く声が聞こえた。シュティーナは部屋へ入って、父であるスヴォルベリ伯爵へ向き直った。隣には兄のミカルも着席していた。

 テーブルには葡萄酒と簡単な食事が用意されてあった。もうすぐ夕食だったけれど、葡萄酒を飲んでひといきつきたかったのだろう。

「シュティーナ。心配したんだぞ。帰ったら居ないし、出かけたと聞いて。イエーオリも居ないし。御者もつけずふたりだけでだなんて」

 ミカルは優しい声音でシュティーナの頭を撫でた。ふたりに心配をかけてしまったとシュティーナは胸が痛くなった。

「約束を破ったな。困った娘だ」

 ため息をついた父が、葡萄酒が入ったグラスを傾ける。

「ごめんなさい。お父様、お兄様……」

 傍らにいたリンを見ると、心配そうにこちらを見ていて、首を振った。自分ではないと言いたいようだったが、告げ口をするような人間ではないとシュティーナは分かっていた。きっと、自分が無断で外出したことを一生懸命取り繕ってくれたはずだ。

 リンの隣にいたイエーオリが、静かに前に出て腰を折る。

「伯爵様、申し訳ございません。わたくしが居ながら」

「よい。シュティーナがお前を懐柔して無理に連れ出したのだろう。それぐらい予想が付く」

 父がシュティーナに向き直るってため息をついた。

「わたしがいない間に外出するなど。危険な目に遭ったらどうするのだ。シュティーナ……」

「わたしが悪いんです。だから、イエーオリとリンには……」

「分かってる。お前は優しい。彼らも優しい。勝手なことをしたお前を守ってくれたのだから感謝している」

お咎め無しだ、ということだろう。シュティーナはあらためて、皆を困らせてしまったことを反省した。

「金輪際、ひとりで出歩くな」

「……はい」

 シュティーナは長いまつ毛を震わせた。

(お父様に言われてもなお、サムにどうやったら会えるのかを考えてしまう自分があさましい)

 こんな風に感じたことは初めてだった。会いたい。サムに。浮かんでくるのは彼の青空色の瞳だった。シュティーナはドレスをぎゅっと握った。

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