私と勝負をしようなんて、たとえ男子だろうと哀れな姿に成り下がるだけよ。自分が持っている実力を八割でも発揮できれば、いや半分でいい。そうすれば世の中に衝撃を与えられる。

九州地区の有数な駅伝部による男女混合の試合が、福岡市内で行われようとしていた。春休みの二週間前だった。
通常は男女が一緒に走ることはありえないが、練習試合では珍しいことではない。

朱賀(しゅが)麗(れい)にとっては、それが狙い目だった。高校卒業間近の男子にも勝てるかもしれない一年生の女子ランナー。
そんな麗は、すでに日本女子マラソン界の次世代候補と期待されていたのだ。彼女の体内に組みこまれているエンジンの気筒がほかの選手とは違うと、関係者には評されていた。

彼女は第一区の走者だった。
一番打者はレースの流れを左右する重要なポジションで、二区以降の覇気にも大きく影響する。だから、ここで躓くわけにはいかない。
この試合で自分の存在を世に知らしめてから、休み明けまで自分の体をいじめ抜くつもりの彼女にとって、今日は大事なレースになるはずだった。
しかし、試合後の彼女はいきなり選手生命の危機に陥った。
そんな麗に、級友の三田(みた)歩美(あゆみ)が心配そうに聞いた。

「この前の駅伝で、問題があったとね?」

麗は、やるせない気持ちで重い口を開いた。
「私(うち)は第一区でね、三年の男子ランナーと先頭ば争いよったらね、その男からいろんな嫌がらせば受けたとよ。肘打ちとか、足ば引っ掛けられたり。ばってん、必死で食らいついて……」
「結局、同着一位やったんよね?」
「そうばってん、私が妨害ば受けたのを車で同行して見よった関係者が、反則した男と同罪に扱ったとよ」
「信じられんね。何で?」
「彼の暴行を誘った私も悪い、喧嘩両成敗っちいうて」

学校のファックスに、麗の処分内容が送られてきた。その白い紙を陸上部の顧問から手渡された。
無期限公式試合の出場停止という文字が、麗の視界から体内に入ると、吐き気をもよおし消化しきれないまま口の外に出ようとした。そして我慢できずに体外に出されると、その現実は世間の空気にさらされたまま彷徨った。すると、どこにも行き場を失った不純物が麗の心身を蝕んだ。

今の世の中は、たった一度の過ちや不祥事でドン底まで叩き落とす風潮である。そして後は知らんぷり。清濁合わせ飲むような器量はないのだろうか?
麗は世知辛く思えて情けなかった。
それでも、友達の前では必死で感情をおさえて明るくふるまったけれど、部屋へ帰るなり大粒の雫が頬を伝わり、ベッドにうずくまって泣きじゃくった。
そのまま麗は、心を閉ざすとともに自室に引きこもった。

――どれだけの時間、ベッドで過ごしただろうか。部屋中に、空になった水のペットボトルが転がっている。
「麗ちゃん、起きてご飯ば食べんね」
「……」
「お母さんは、仕事に行くけんね」

麗からしてみれば、ドアの向こうの母の顔は見えないし、部屋の外は別世界である。
そんな麗のスマホに、歩美からメールが届いた。

【麗、もう不登校になって二週間になるね。駅伝での不祥事で無期限出場停止になっても、麗は女子マラソンの次世代候補であることには変わりなかよ。気をとり直してね。春休みが終わったら、学校で待ってるけん】

ただちに麗はスマホの電源を切った。
すると、画面とともに彼女の視界も真っ暗になった。ベッド上で屍状態の麗は、とにかく人とかかわるのが煩わしかった。気が失せるし、生きているのも虚しいくらいだ。