宵の朔に-主さまの気まぐれ-

忌まわしき過去と栄光

近くで見ていても綺麗な顔立ちだった。

しかし凶姫とはなかなかに不吉な通り名だ。

名乗った本人はさして気にしている風でもないが、朔自身はそう呼ばれるようになった経緯が気になっていた。


「……ちょっと…何よ、やめて。駄目」


「何故凶姫と呼ばれるようになった?」


「その前に、近いって言ってるの。少し離れて」


もうほとんど距離はない。

ほぼほぼ耳元で囁くような感じになり、目が見えない代わりに聴覚が敏感な凶姫は朔が耳元で話す度にぞくぞくして身を震わせた。


「嫌だ。別に触れているわけじゃないし、これでいいじゃないか」


「あなたぐいぐい来るわね…。まあいいわ。次に私に会う時はちゃんとお金を払いなさいよね」


「金か。どこに行けば会える?」


ーー凶姫が突然黙り込んだ。

朔はただじっと黙って待っていたが、触れたいという欲求が何故か強く、そっと凶姫の赤く塗られた瞼に手を伸ばす。


そして触れるか触れないかの距離になった時ーー


いつ抜いたのか、朔の喉元には短刀が突きつけられていて、驚きに目を見張る。

いくら気が抜けていたとはいえ、何の予備動作もなかったように見えたが…


「触らないでって言ったでしょ」


「触るのにも金が要るってことか?」


「私に触るとあなたに不吉なことが起きるの。だから駄目」


「俺、そこそこ強いんだけど」


「あなたの雰囲気でそれは分かるけど、駄目なの」


半ば押し問答になりそうになった時ーー


「姫様、そろそろ………え…?あ、あなたは…」


ーー『朔…』

か細く消え入りそうな声で自分の名を呼んでいたあの娘ーー


「…柚葉(ゆずは)…」


突然去って行った娘が目の前に現れて、朔がその名を呟いた。


「あら…月、あなたたち知り合いだったの?」


「…月…?」


朔がそう呼ばれていることに柚葉が言葉を失い、凶姫が短刀を懐に収めた。


懐かしさに、朔もまた言葉を失っていた。
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