とうとう右川は指を切ってしまった。だーかーらー、言わんこっちゃない。
右川は指先を口の中に放り込んで、「うー……」と唸った。
山下さんから、「それもう終わりでいいから」と言われても、「でも、あとちょっとだし」往生際の悪さを見せて包丁を握ろうとする。
「そんな手で刻んだもの、お客さんに出せないだろ」
指を口に入れたまま、不貞腐れた様子で右川は側の小さな椅子に座った。
右川に代わって野菜を刻み始めて間もなく、今度は山下さんが、「痛っ」と悲鳴を上げる。咄嗟に右川が立ち上がって、「どしたの?大丈夫?」その手を取って穴のあくほど注視した。
すぐに救急箱を取り出して、右手に絆創膏、左手にはチューブ入りの薬。
「どこ切ったの?」
山下さんは首を傾げた。「切ったというか、火傷かな。鍋に擦った」
山下さんは右川の手から絆創膏だけを受け取り、「その薬はいいよ」と水に手をさらす。右川は寄り添うように山下さんの側に立ち、タオルを開いて、その手を待ち受けて。
「いつも仲良いですよね。本当の兄妹みたい」
阿木は、しみじみと呟いた。
「山下さんが、本当の兄貴だと勘違いしてる奴って多いですよ」
俺も乗っかる。
「そうなの?まぁ、よく考えたら俺も兄貴みたいなもんかな」
「違っがーうっ。あんなのと一緒にしないもん。お兄ちゃんじゃないって、あたし、みんなに何度も言ってるのに」
右川は、山下さんに熱っぽく訴えた。俺は阿木と、そして永田さんと、含みを持って顔を見合わせる。これはもう分かりすぎるくらいに〝ぞっこん〟。
「ねぇ、何かすることない?」と、右川は、あちこちを探り始めた。
「無い。というか、何でも好きな事やれ。ここはもういいから」
山下さんが苦笑いで言う事には、この夏休み、右川は塾に行く訳でもなく、相変わらず、ずっとここで店を手伝っていたらしい。
「プールでも海でも、何処でも遊びに行けって言ったんだけどね」
「別に行きたくないもーん」
ぴゅう~♪と右川は口笛を吹いた。だろうな。修学旅行すら、そうだった。
「そう言えば中間テストっていつから?」
それを阿木が訊かれて、「来週ぐらいから試験範囲が決まってきますよ」
「カズミ。今度は大丈夫か?」
そこで俺が右川に睨まれた。
1学期の期末。右川は、またしても数学以外は追試で、酷い有様。
「俺はチクってないからな。その期末に関しては」
「とかって、暗にバラしてくれちゃって。あんたバカなの?」
恩を忘れやがって。
〝汚い仏像〟と罵られながらも、俺は追試の課題を教えてやったというのに。
そこからテストの話題が盛り上がりを見せる。永田さんは「夏の模擬試験、英語の長文がエグい」と愚痴をこぼした。阿木も「物理が進まないのよね」と泣き言を言う。
話題に付いて行けない疎外感。右川は仕切りと髪型を気にして鏡を覗き、俺達に背を向けた。
「沢村くんはどうなの?中間は自信満々?」と、山下さんから話を振られて、
「中間というか。1カ月後には文化祭が迫ってますから。正直ぼんやりそっちの方が気になりますね」と俺は話を反らした。(優しいな、俺って。)
実行委員の選出。模擬店。ステージ発表。その後の後夜祭まで、準備も後片付けも大変で。
そんな話をしてみた所、「懐かしいな」と、山下さんは遠い目をして、「で、カズミは文化祭、何かやるの?」
「アキちゃんの言う通り、あたしは勉強しまーっす」
「こら。そういう活動が大事だろ。そういうの、学生じゃないと経験できないんだから」
「そうだよ」と、俺は山下さんにガン!と乗った。
右川はそれを軽く無視して、「ねぇ、何かすることなーい?」
あんまり言われ過ぎて、山下さんは痺れを切らしたのか、
「そんじゃ、買い物行ってきて。とうふ一丁」
「うん。アキちゃんも一緒に行こ♪」
「そういう訳にいかないだろ。お客さんもいるんだから」
苦笑いで、やんわり断った山下さんだった。
だが右川が消えた途端、「ちょっと1本電話したいんだけど。2~3分いいかな?」と席を外す。
右川が居ない時を狙い、そして、俺達が側に居てはよろしくない電話の相手。
大人の事情には首を突っ込めない。しかし気になると言えば気になる。
店内は、俺と永田会長と阿木の3人だけになった。
「ところで。あの右川会長は?その後どうなの」
永田会長も、右川が居なくなった途端の本題となりにけり。
「あのまま。今の所、相変わらずです」
「なかなか手強いな」
「ちょっと自分に考えっていうか、思う所があって……任せてもらえますか」
俺は、意味ありげに頷いて見せた。〝最終手段〟フラグはもう立っている。
阿木が、「私に、何か手伝える事ある?」と来た。
そうだなぁ……俺は腕組みをして気をもたせると、
「放課後さ、できるだけ右川を学校に引き止めてくれないかな」
永田会長は笑って、「そんなの、沢村がいつも引き止めてるじゃないか」
「それが、そうそういつも成功してばかりでもないんですよ」
俺が何か言いつけると、あいつは逃げ出す。必ず。だから阿木には、茶道部の用でも何でも言い付けて、引き止めに協力して欲しい。
「そんな事でいいなら簡単だけど」と、阿木はコップの水をグイと飲んだ。
最終手段に出ると決めてはいる。だからといって、そのまま放ったらかしで油断していたら、また何か良からぬ事を考えて逃げ出そうとするかもしれない。
阿木のお呼び出しも入れて、右川を生徒会室に軟禁、各部長クラス&有志にお目通り、そして1つ1つ、生徒会の覚悟と鉄則を植え付けてやるのだ。
あれやこれや、そんな展望を語っていると、「喧嘩すんなよ」と永田会長に笑われた。阿木には、「そこに、私を巻き込まないでよね」と、たしなめられた。
そこに、電話を終えたらしい山下さんが戻って来る。
会計を済ませた2人は、「「それじゃ」」と仲良く、店を後にした。
山下さんと2人だけ。
途端に、言い様のない緊張ムードが漂う。
「電話って、誰ですか」
「秘密」
「……ですよね」
いくら沈黙に耐えられないからって、バカな事を聞いてしまった。山下さんは、いつもの気の良い笑い声を上げると、「カズミにも秘密。頼むよ。な?」と、俺の目の前に缶コーヒーを置いて……買収ですね。また貰ってしまった。
そして、何かとんでもない秘密を共有してしまったような気になりますが。
だったら相手が誰なのか、そこを詳しく……言わなくても、「今日の分はおごるよ」と、さらに買収が跳ね上がったりなんかしたら、そこまでの破壊力を持つ相手だと察する事は出来た。
俺がちょうど、店を出たその時、買い物から戻って来たらしい右川と店の前の通りで鉢合わせる。相変わらずの大荷物。山下さんが頼んだのは1品だけの筈。いつも何をそんなに買い込むのか。お互い、それぞれが何かを探り合うように仁王立ちで睨み合う。
「右川カズミ、これが最後通告だ。会長やれ。絶対に」
「やらねーよ。これで決定。仏像は消えろ。今すぐに」
……山下さん、また、改めてお願いに上がります……。
そんな意味を込めて店の建物を見上げた。
俺の、最大の心の依り所が、ここにある。
学校活動を大事にしろという発言もさることながら、憚りながら〝弱み〟まで握ってしまった(?)。もちろん山下さんを脅すつもりなんか毛頭ないけれど、都合のいい事に、これは以前にも増して話が進めやすい。
〝最終手段〟
ズバリ、山下さんから右川に、会長に立候補するよう説得してもらう事だ。
結果的に〝取引〟という事になってしまうかもしれない。卑怯は100も承知である。だけどもうこれしか手段が浮かばないのだ。
右川は、俺の目線を怪しいと感じたのか、
「今日からあんたは出入り禁止。もう店には来ないでくれる?」
「俺は、山下さん以外、その指図は受けない」
「大学イモ、500円なんですけど。さっさと金出しな」
「俺は、山下さん以外、その指図は受けない」
ふん!と悪態をついて、右川は店内に消えた。
おまえなんか、さっさと振られちまえ。
それが喉元まで出掛かったが、まー、いい気になっていられるのも今のうち。
「見てろよ」
人を散々振りまわしてコケにした事を、後悔させてやる。

その後、激しく後悔するのは、俺だった。
中間テストを2週間後に控えた9月下旬、この日を境に、右川の態度が、がらりと変わる。

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