ユーレイになった彼氏と同棲中
ユーレイのかずやが現れた

 婚約者の一番星《かずや》が死んだ。

 突然の出来事だった。

 今まで何度か恋愛はしてきたけれど、いつの間にか気持ちがすれ違い、そして別れがきた。

 だけど、かずやは今までの人達とは違った。

 一言で言えば、気が合う、ということになるのだろうか。とにかく、わたし自身が自然体でいることができた。

 相手の気持ちがわからなくて、機嫌をとったりしなくても済んだし、自分の気持ちが相手に伝わらずに、イライラすることもなかった。

 ありのままのわたしを、かずやは受け止めてくれたし、わたしも、ありのままのかずやを心から愛することができた。

「結婚しよう」などという言葉もいらないくらいに、まるでふたりが結婚することは、生まれた時から決まっていたかのように、結婚の準備が進んでいった。


 その、かずやが死んでしまった。


 人間が、こんなにも呆気なく死んでしまうこと、テレビのニュースや新聞の中での話で知っていたものの、やはりそれを自分自身に降りかかる出来事とは捉えていなくて、他人事《ひとごと》だとしか思っていなかった愚かな自分を知った。

 それと同時に、愛する人を亡くすというのは、悲しみ、喪失感、そんな言葉だけでは到底表わせないということを知った。

 かずやが死んだと聞かされた日、かずやの亡き骸と対面した日、その日から、わたしの感情は麻痺してしまったかのようになった。

 ほんの数時間前まで笑って側にいた人が、突然いなくなったことを理解するということができなくなるのだ。

 これは嘘なんだ、夢なんだ、嘘であって欲しい、夢であって欲しいと、何百回も何千回も、毎日毎日、そう思い続け願っても、嘘でもなければ夢でもない。だけど、いつまで経っても受け止めることはできない。

 あの日から、自分が今まで生きてきた場所とは、全く違う場所へと移動させられたような感覚に陥った。今までの自分が何だったのかわからなくなった。

 かずやがいないこの世は、自分の存在さえもわからなくなる世界となった。

 かずやと出会う前の自分に戻れることもない、現在の自分もわからない、これから先のこともわからない。

 この世という空間に、ポツンとひとり、取り残されたような感覚がずっと続くのだ。

 かずやのお通夜やお葬式には、かずやのご両親が配慮してくださり、列席させてもらったが、いったい誰のお葬式に来ているのか理解できていなかった。

 かと思えば、突然、現実がわかる時があり、かずやがいないということ、かずやが亡くなったということに対して、恐怖と悲しみで、自分の声とは思えない、まるで猛獣の叫びのような声が、お腹の奥の方から漏れ出し、泣き崩れてしまうのだ。

 なのにまた、次の瞬間、自分が何者なのかわからなくなる。

 気が狂うような哀しみ苦しみ、そんな表現をどこかで聞いたことがあるような気がするが、人間は、そんなに簡単には気が狂ったりしないのだとわかる。いっそのこと、気が狂ってくれた方が楽なのではないかと思ってしまうくらいの、まさに生き地獄なのだ。

 そして「わたしが亞《つぐみ》の立場だったら気が狂ってるよ」などという言葉を投げかけられ、気が狂わないあなたは悲しんでいないと言われているようで、更に地獄に落とされる。

 わたしは笑うこともできなくなった。かずやが死んだのに、笑うことなどできるはずもなく、何を見ても何を聞いても、笑うことはできなかった。

 笑うということを、幸せの中にいるときには、意識せずにしていたのだと気付く。笑えない日が来ることなど考えたこともなかった。

「竹野内さん、何を怒ってるの?」
「竹野内さんなんか怖い」

 わたしにとても悲しいことが起こったことを知らない人が言う。

「元気出しなさいよ」
「死んだ人が悲しむよ。幸せにならなきゃ」
「いつまでも悲しんでると死んだ人が浮かばれないのよ」

 知り合いの言葉も残酷だ。励ましなのか慰めなのか、人は何かを口に出すことが良いことなんだと思うものなのか。わたしも今まで、もしかすると、こんな風にわかったようなことを人に言っていたかもしれないと思うとゾッとした。

 もしも、かずやの為に、悲しむことがいけないことだとしても、元気を出して幸せになり?悲しまないようにする……?

 やりたくても絶対にやれないことなのだ。自分ではどうすることもできない。この悲しみ、地獄から抜け出すことはできないのだ。

「3年経てば楽になると言われています」

 葬儀屋の人が、かずやの両親に、そう声をかけていたのを思い出した。

 楽になるとはどういう意味なのだろうか。愛する人を亡くしたことのない人の言葉だと思った。

 愛する人を亡くすことは、遺された者は、生きながらにして死んでいるようなものなのだ。

 世の中が歪んで見えた。今まで普通に見えていた物が、全部違って見えた。外を歩くと、自分ひとりが不幸な人間のように思えた。

 暗い顔をしている自分のことはわかっていた。だけど、その顔しかできないのだ。

 笑えないし、普通に話すこともできない『わたしは婚約者を亡くしました。なので、こんな顔をしています』と書かれたプラカードを首から下げて歩けばいいのだろうか。

 食べることもできなくなった。かずやが死んで、自分が生きていなくてはならない理由を失った。ずっと食べないでいれば、かずやがいる場所へ行けるかもしれない。

 だけど、わたしがかずやを愛することと同じように、わたしのことを愛してくれている人もいるのだ。それは、わたしの両親だ。

 わたしが死んだら、両親を、わたしと同じ生き地獄に引きずり込んでしまうことになる。

 両親の為に、わたしは生きることを選んだ。


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