幽霊と私の年の差恋愛




雨に打たれながら、真糸は目の前に立つ人物の姿を茫然と見つめた。


「……美波ちゃんに用かな?」


口元に笑みを作っては見るものの、相手にそんな気はないことくらい分かっている。


「それとも……僕に?」


彼女は最初無表情で立っていたが、やがてにっこりと愛らしい笑みを浮かべた。

それは不自然なくらい、いつも通りの笑みだった。


「……驚いたなぁ。まさか短期間でこれほど実体化しちゃうなんて。どうやったのか教えて欲しいな?」


そして彼女は、左手のひらに右手を打ち付けて拍手を送る。そのパフォーマンスに、真糸は質問に答えることなく、訝しげに眉を顰めた。


「君は、誰だい?」


単刀直入に聞く。相手はきょとんとした顔で首を傾げる。


「誰って……? ずっと美波といたんだから分かるでしょう? 私、『佐伯愛佳』って言うの」


目の前に立っているのは、紛れもなく佐伯愛佳だった。真糸もよく知る人物だ。しかし真糸はそれを否定する。


「それは『身体』の名前だろう?」


愛佳の自己紹介を、真糸は馬鹿にするように切り捨てた。途端に、愛佳の表情から可愛らしい女性の笑みは消え失せ、面倒くさそうなため息を吐く。


「はぁ〜……分かってねぇなおっさん……」


ガリガリとがさつに頭を搔く愛佳は、およそ普段の彼女とは似ても似つかない。そして挑発的な視線を送る。


「″その身体こそが自分″なんだよ。俺は『佐伯愛佳』だ。『中身』が誰だろうがそんなのはどうでも良い。『中身』に人権なんてねぇんだよ。あるのは『身体』としての人生だけだからな」


「……」


開き直るかのように宣う愛佳に、真糸はとある少年の顔を思い出す。母親に『身体』の名前を呼ばれ続ける、あの少年の表情をーーー。


「……何だよおっさん。黙ってないでなんとか言えば?」


黙り込む真糸に、愛佳は苛立ちを隠さない。


「……いやいや、悪い悪い。それにしても、君みたいな子どもに以前出会ってね……やっと君に覚えた違和感の正体に合点がいったんだよ。それから僕も君が気になって気になってしょうがなかった。まさか両想いだったとは、おっさん嬉しいな〜。で、僕に何の用?」


挑発を挑発で返す真糸に、愛佳は面白くなさそうに舌打ちをする。


「……まぁ、おっさんには近々釘を刺そうと思ってたんだけど、これだけ実体化してるなら必要ないか……」


にやにやと口角を歪める愛佳。


「……君、まさかとは思うけど」


愛佳は真糸の訝しむような表情を見て、面倒くさそうに天を仰ぐ。


「『佐伯愛佳』ももう替え時だしなぁ……次は『安西美波』の人生でも楽しもうかと思っててね……せいぜい邪魔だけはしないでくれるかな?」


愛佳はため息を吐きながら、くるりと踵を返した。


「あの『身体』は長いこと『中身』と調和してないから入れ替わるにはかなりの良物件だぜ? 俺以外にも、色んなやつに狙われるだろうな……ああ、でも」


そこで一度言葉を切る。




「身篭った女に代わるのはなぁ……面倒臭いかな?」




一瞬、雨の音も聴こえないほどの衝撃が真糸を襲った。


「はっ……?」


身篭った……? 誰が?


「いや〜、それがはっきりそうだとはまだ聞いてねぇのよ。おっさんも気になるよね? 聞いてみるといいよ。妊娠してたらおっさんにあげてもいーや」


それだけ言うと、愛佳はさっさと歩き出す。


「……渡さないよ」


愛佳の背中に向けて、真糸ははっきりと告げた。


「どちらにしろ、美波ちゃんは君に渡さない」


しばらくの無言のあと、雨に消されそうなほど小さなため息。


「……怨霊風情が。所詮ゾンビのてめぇが、『生きてる人間様』に知った口聞いてんじゃねぇぞ」


そして蔑むような言葉を吐き、愛佳はその場を去った。


「……ふぅん。なるほどねぇ」


彼女が去ったあとも惚けたように突っ立っていた真糸だったが、完全に雨の音だけに支配された静寂の中でようやく踵を返す。


(イライラする……)


それは妊娠のことについてか、それとも愛佳に罵られたことか。

考えても仕方が無い。

そう思い、足を早めた時だった。




「……私に構うのは止めてよっ!!」




美波の叫び声が、雨の中に響いた。




「ふざけないでっ……」




相手の声は聞こえない。しかし、直感的にあの男だと思った。真糸は焦燥を蹴散らすように走る。




「美波ちゃんっ!!!!」




真糸が見たものは、美波に馬乗りになりナイフを振り上げた男の姿だった。覚悟を決めたようにきつく目を閉じている美波を、蛇の赤い瞳が睨み付けていた。



「止めろっ!!!!」



激しい衝突音が響いたあと、男が美波の上から吹き飛んだ。アスファルトの水たまりに、カツンと冷たい音を立ててナイフが落下する。


「誰だテメェッ!!!」


突然突き飛ばされた男は、怒り狂った表情で真糸を見やる。しかし次の瞬間、その表情は恐怖の色に一瞬で塗り替えられた。



ゾッとするほど蒼白い男が、生気を感じさせない濁った瞳で自身を見下ろしていたからだ。



「誰かなんて関係ないだろう……? 君は今、何をしようとしたんだい……?」


真糸はゆっくりと、将の首に腕を伸ばす。固まったまま動けずにいる将の首に片手をかけ、そのままその身体を吊り上げる。


「ま、真糸、さ……」


されるがままに吊り上げられた将は、なす術もなくただ足をばたつかせた。必死に逃れようと暴れるが、真糸の腕はびくともしないどころか脅威的な力で将の首に指を食い込ませた。


「うっ……ぐぅっ……」


「や、やめて真糸さんっ…… し、死んじゃうよっ……!」


美波の声にも、真糸は従おうとしない。


「死ぬ? 良いんじゃない? こんな奴死んでも。自然淘汰だよ」


そう言って、腕に力を込めていく。



(そうだ……こんなやつ死んだって構いやしない……)


そう思ったのは、誰の心だったのだろうか。


(こんな奴が生きているのに)



どうしてーーー。



「バ……ケ、モノ……がっ……」



将の絞り出すような声が頭上から落とされる。



「バケモノ? 僕が?」



真糸は嗤った。




「冗談だろう……? 僕は君みたいな犯罪行為、生 き て い る 時 に し た 事 な い よ ?」




将の顔が、絶望に染まったのが分かった。



「真糸さん! 駄目っ!!」



これ以上は、引き返せなくなる。

ただ見ているしかできなかった美波も、このままでは危険だと直感した。

何が危険かは分からない。ただ、いつもの優しい真糸が、永遠にどこかへ行ってしまうような気がしたのだ。


「真糸さん、もう良いから! 帰りましょうっ!!」


ありったけの力で、真糸の指を将の首から外す。

バシャリと派手な音を立て、将の身体が水たまりに落ちる。


「ゲホッ……ガハッ……」


落ちた体勢のまま咳き込んでいる将はそのままに、美波は真糸の手を引いてアパートまでの道のりを急いだ。









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